とらべるとらぶる

 私の一番の趣味は年に一二度の海外旅行なのだが、一人旅ということもありこれまでにいろいろな事故に巻き込まれてきた。
 インドでは(2003年)激しい食中毒に悩まされた。今思えば、ガヤの屋台で飲んだサトウキビジュースがまずかったのだと思う。ジュースはフレッシュでも入っていた氷は生水からできていたのだから。亜大陸一週の旅も後半は冷房の効いた夜行列車で下痢を悪化させる悲惨なものでデリーへ帰還してそのまま通院することになった。たどたどしい英語で症状を説明した後に点滴をし、その間、便の色は紫になったり緑になったり閉口させられた。
 中国の西安では(2008年)スリにあった。上海からの夜行列車で西安に入ったのだが、どうやら日本人というよりは、国内経済格差により沿岸部から来る人が狙われるらしい。バスの切符売場の人ごみでやられてしまったのだが、盗難届やクレジットカードの停止手続きなどすみやかにでき被害は少額で済んだ。
 モロッコでは(2009年)警官から出国を拒否された。英語しかできない私とフランス語やスペイン語しかできない警官の行き違いだったのだが、日本大使館から電話をかけてもらい、何とかヨーロッパ大陸への船に乗ることができた。
 しかし何といっても強烈な(生涯忘れることのできない)トラブルは、フランスのパリで(2004年)睡眠薬強盗に遭ったことだろう。日本から到着した翌日、時差で目が冴えていた私はまだ真っ暗なのに街を徘徊していたところ、自称ブラジル人旅行者だという中年女に始発列車まで一緒に喫茶店で時間をつぶそうともちかけられた。うかうかとついていって紅茶を飲んでいたところ意識が遠くなり、気がついた時には昼近くになっていた。そして現金はまったくなし。
 途方にくれて街を歩いて、夕方くらいに警察署へたどりついた。警察署では、日本語のできる警官が明日出勤するから今日はここで泊まっていけと言われて案内されたのは拘置所のような柵のあるスペース。明かりもつけられたまま布団もなしで一晩を明かした。そしてその翌日、日本大使館で両親に国際電話で状況を伝えて送金してもらい、旅をつづけたのだった。睡眠薬を飲まされた時点で全く無防備になっていたのであり、命も悪人の手中にあったことを思えばゾッとするし、現金の他、パスポートなども残しておいてくれたことには謝意すら感じてしまう。

 旅のトラブル、とりわけパリでの睡眠薬強盗のような事件には二度と巻き込まれたくないし、旅行中はいつもそのことを心に置いている。しかし、これらの事件が私という人間の判断力に大きく寄与したという事実もまた認めざるをえまい。