本の楽しみ

 芥川賞の候補作が発表されてから図書館でコピーした候補作を読み、受賞作が発表されるまでの間に私なりの選考をするのが、このページにおけるこれまでの大きな楽しみであった。しかし、中央図書館を含めた札幌市立図書館では予算減少を理由として数年前から文芸雑誌の購入を中止しており、北海道大学図書館でも在庫管理の省力化のつもりなのだろうか年明け早々に前年の雑誌を製本に出してしまうため、この時期は書架の裏側は空っぽになっている。つい数年前、江差にいたときでも、文化センターに間借りしている小さな町立図書館が、北広島市の図書館から在庫を取り寄せてくれるなどして私に選評の機会を与えてくれたのだが、今は何という変わりようだろうか。
 それで年二度のお祭り騒ぎもできなくなったわけなのだが、ひとこと言わせてもらうと、市民に対して月刊誌すら提供できないのは行政の怠慢である。単行本であれば、各自が自分の興味に合わせて買えばいいのであるから、むしろ書店などの市場に供給を委ねてもよいのかと思うけれど、月刊誌の場合、特定の冊子に個人の特定の興味が毎号継続的に掲載されるわけではなく、そうでありながら買うのであればつまみ食いではなく継続的な購入が必要になる。他方で、一人が擦り切れるまで読むという性質のものではないから、不特定多数による共有の利点も大きい。そういう特性のある月刊誌こそが公共の担い手である図書館が真っ先に市民に提供すべきものであると思うから、私のささやかな楽しみを奪った市の文化行政の不見識に怒りを覚える。

 それはそうと、私は十年くらい前から「百冊読書」を自らに課している。ジャンルや文字量を問わず、何でもいいから一年間に百冊以上の本を読むということなのだが、十年たつから、21世紀に入ってから千冊は超えただろう。百冊はあくまで目安だから、一昨年の「ローマ人の物語」などのように年の後半に巻数の多い文庫にめぐり合う年は百五十冊になることもある。逆に昨年のように洋書を何冊も読むと、洋書に和書の十倍の時間とエネルギーを要する私の英語力では、読んだ満足感に相違して百冊ギリギリということになる。もちろん冊数が目的というわけではないから、できるだけそのとき読んで楽しそうな本を手に取るようにしている。
 毎日もっとも確実に読書の時間が取れるのは通勤時間だろう。電車の中だけでなく、雨で本が濡れる日や交差点でなければ、歩行中も本を読むことができる。よく人にぶつからないか聞かれることがあるが、毎日同じ道を通っているから、その懸念はない。

 タイムリーということではインターネットには及ばないとしても、書籍は人間にとって抜きん出た情報源であり、奥の深い娯楽でもある。ローマ皇帝が市民にパンを保障したように、もう少し社会全体が、本を大切にする文化を作っていけたらと思うのだが。