失われた世代

yosuke0araki2006-05-03

 戦後の復員により1950年前後に第一次ベビーブームが生じ、堺屋太一氏により団塊の世代命名された。同世代の中では激しい競争を強いられると同時に、前後の世代を凌駕する発言力を有し続けてきた彼らの安価で高い技術力こそが、高度経済成長から石油危機にいたる日本経済の危機を軟着陸に導いた。そしてまた、世界的に見れば石油ショックほどの悪影響を有さなかったはずのバブル崩壊時に、日本の復旧が大幅に遅れた原因の一端もまた、管理職に滞留し、間もなく年金生活に入ることが予想される彼らの存在に求めることができる。
 さて、第一次ベビーブーム世代を親とする1970年台前半に出生した人たちを第二次ベビーブーム世代という。最近この世代、とりわけその下半期に出生し30を迎えようとする人たちについて「失われた世代」という呼称が定着しつつあるという。つまり彼らの多くが、学卒後の就職活動期を、バブル崩壊による企業の人員削減の時期と重ねてしまっているため、その前の世代と比較すると就職条件に格段の劣位を強いられているというのだ。終身雇用を前提とする日本社会において、そのことは将来的にも影響を及ぼす。この世代の多くが、フリーターやニートとしての生活を余儀なくされ、日本の各界の担い手となる機会を失ってしまったというのがこの言葉の意味するところらしい。かくいう私も、この割を喰った世代の末端に連なるのかもしれないのだが。
 景気の回復を反映して、中堅社員の給与や新規学卒者の雇用が急速に回復している今日においてあまり実感はできないけれども、大量の失われた世代の存在は日本経済にとってかなり深刻な存在である。フリーターの年収が正社員の半分以下だということが報道されるけれども、両者の最大の相違は、フリーターの仕事の多くが体力・敏速性や機械の操作を必要とする若者に有利なものであるのに対し、正社員のそれが知識・経験や判断を必要とする年長者に有利なものだということだ。つまり現在30前後のフリーターの低収入が問題なのではなく、彼らが中高年にさしかかる十数年後に、どうなってしまうかが問題なのである。
 他方で私は、失われた世代の問題を、最近はやりの格差の議論にすりかえることには躊躇してしまう。割を喰ったといっても、国民皆兵制のもとで戦争に駆り出された昭和元年前後生まれの世代などとは比較すべくもないし、歴史は常に流転しているのであるから、その運不運は一人ひとりがある程度は受忍せざるをえない。ただ、第一次ベビーブーム世代の退職後、彼らを支えるはずだった第二次世代が職業能力を高めないまま年を経て、逆に他の世代に依存するようになれば、それは財政や年金制度などを通して経済全体を破綻に追い込みかねない。そうならないためには新規学卒時のリクルート市場から排斥されたまま今日に至る第二次世代を早く社会の中軸に取り込むことが必要である。彼らとて、いつまでも若くはないのだからあまり時間はない。
 そのためにはどうすべきか。最優先なのは、社内の昇進その他において中途入社組が不利を強いられる企業風土を見直すことだろう。もちろん、そんなことは昔から言われていることであり、一朝一夕にできるわけはないが、各方面において努力することは必要だろう。そしてもう一つは世界進出。第二世代がそれ以前の世代と比較して優れているのは、英語力その他の国際性を有していることだろう。今、BRICsなどの新興国が急成長しているけれども、彼らがその成長を支援することに可能性を見出せれば、そこに大きな可能性が開ける。彼らにないのは、組織と機会と資金なのであり、これを準備することは政府そして日本経済にとって非常に有意義なことではなかろうか。