桜花

yosuke0araki2006-05-21

 異常気象は暖冬ばかりではない。例年ならゴールデンウイークが見頃になる北海道の桜、今年はようやく開花した。しかし考えてみれば、桜の魅力はまだ寒々と赤茶けた風景の中で独り鮮やかなピンクを誇示し、華やかな春の先鞭をつけただけで一斉に散っていくところにあるだろう。先に出た葉の隙で間の悪そうに咲く花が、ライラックを始めとする多種の花の香りの中にあってもあまり感慨などは持てない。
 桜すなわち花であった時代から、桜は日本人の心にいきづいてきた。誰しもが、桜という語から、自分の特別の桜の風景を思い浮かべることができるだろう。そうやって多くの人の心に住まうことこそが、桜の名木の必須の要件だと思う。
 私にとって、それは三春の滝桜である。しかし、奇を衒うようで恐縮するが、今だかつてその満開なりしを自分の目で見たことはない。
 福島県三春町の由来は、梅桃桜の三つの花が一斉に開花することである。東京などでは梅→桃→桜の順に開花するけれど北海道では逆になる。この順序の切り替わるのが福島県央のこの地なのだろう。戦国期には伊達政宗夫人愛姫の実家である田村氏が、幕藩期には蝦夷の覇者だった安倍氏の末裔たる秋田氏が三春の領主となった歴史の街でもある。この三春の郊外にあって樹齢千年といわれるのが滝桜だった。滝桜を訪れたのは平成3年だから、もう15年も前の夏の盛りのことだった。地元の人に道を尋ねると、花の時期があまりに素晴らしいから、自分はそれ以外の時期には行ったことがないのだがと、訛りのある言葉で教えてくれた。それでも、しだれ桜の古木は葉が滝のような威厳を有し、しばし時を忘れて見ほれてしまった。
 私の中で、おどろくべき現象が起こったのは、それから半年以上たった翌年3月のことである。花の盛りに仙台から富山に引っ越した私は、ある晩、満開の滝桜の夢を見た。きっとそれは夏の滝桜と、仙台への郷愁と、富山の桜が脳裏で混交してしまったからだろう。しかし以後、私が滝桜として思い浮かべるのは全て満開のしだれ桜である。さも見てきたかのように、ピンクの滝の話をすると心が痛むけれども、それはそれで良いのではないかとも思う。桜が美しいのは、それが人の心の中で生きてきたから。美しい桜が私の心の中で形作られても、それが私の歩んできた道から外れていなければよいのだから。
 江差にいた3年間には、北上・角館・弘前松前五稜郭という桜の北上ルートをひととおり追うことができた。しかし、観桜会で人を見に行くというのはあまり好きではない。何気ない街路樹にも、愛らしさがあったりするのを見つける方が楽しい。