中等教育への情熱

yosuke0araki2004-01-09

  昨年は旭川東高校が創立百周年をむかえたそうだ。
 道内の高校で最も古いのは明治28年創立の札幌南(旧制札幌第一中学校)と函館中部(函館中学校)。明治34年の札幌北(札幌高等女学校)、35年の小樽潮稜(小樽中学校)、36年の旭川東(旭川中学校)と続く。当時、札幌が函館・小樽に次ぐ道内3番目の都市だったことを考えると、道庁所在地札幌はかなり優遇されていたといえる。
 他の都府県を見ても、第一中学校(一中)はほとんどが本庁所在地にある。その例外が、弘前・安積・松本・彦根・郡山・姫路の各中学校である。
 これらの都市には実は共通点がある。それは城下町であるということだ。武士たちは県庁を手放したとしても一中は手放さなかった。いかに武士に教育が重んぜられたかを端的に示している。
 興味深い例は青森県である。廃藩置県後、多数派の旧津軽藩と少数派の旧南部藩で県庁をどこに置く紛糾し、結局は弘前と八戸の間の青森に定まった。しかし、その代替として一中は弘前に置かれ、二中は八戸に置かれた。青森高校は県内三番目の歴史しかない。
 教育改革、特に高校の学区改革についてよく報道されるけれども、果たしてかつての旧制中学校に対して持っていたような情熱をもって議論しているといえるだろうか。教育は、多岐にわたる行政の一パートではない。ほとんど全ての人が直接的な関係を持つ、いわば行政と住民の接点である。各人がもっと身近なものとして熱く議論しなければならない。