Yさんのこと

yosuke0araki2004-02-14

Yさんのこと
 Yさんというのは、高校の一つ後輩にあたる人だ。当時の私は、Yさんのことを気にいっていたけれども、ついにそういうことは言い出せずに卒業してしまった。
高校を卒業しても碌に勉強をしていなかった私に入れる大学はなく浪人することになった。私は、学部とかはあんまり考えていなかったが、小さい頃から歴史が好きで京都に憧れていたから、大学生活は京都でしたいと思っていた。その気持ちから、故郷・富山を出て京都の予備校に入った。
まあ、京都に住んだからといって、労せずに京都の大学に入れるわけではない。産近甲龍も難しい、関関同立は雲の上というのが私の現実だった。自棄になった私は、意味も無く大検を受験した。その会場となった高校で何となく手に取った進研模試結果の上位者名のページに眼を疑った。
Yさんは2番だった。私の在学中からYさんは、数年に一人の秀才という誉れ高かった人だから、そういうこともあるだろうと思った。本当に驚いたのは、彼女の志望校が京大理学部だったということだった。優秀な生徒には東大を受けさせ、その合格者数を競うわが高校において、それは大変に意外なことだった。
このとき、私の中で閃いたことがあった。同じ京都での大学生活ということになれば、私とYさんに接点ができるはずだ。ましてわが母校から京都にくる人なんて少数派なのだ。京都の大学へ行くことと、Yさんに近づくことは私の中で一つになった。
それから私の生活は大きく変わった。英単語を一つ覚える度、数学の公式を一つノートに写す度に、私はYさんに一歩近づいた気がした。高校を卒業してから一度も会っていないYさんは、私の脳裏で美化されて観念的なものになっていった。そこから出るエネルギ−は、私の成績を飛躍的に向上させた。浪人生用問題の不利が問題視されたこの年のセンター試験でさえ、現役時を800点満点で150点上回るものとなり、気がつくと私は前期・京大経済学部を受験していた。
同志社に合格して、京都に住むことができるようになった日の夜に、高校の頃の友人からかかってきた電話が私の心を一変させた。Yさんは、実は東大に出願していたというのだ。その友人は東大を受験するのだけれども、その足切り通過者の中にYさんの名前があったというのだ。受験番号からセンター試験の試験会場まで明らかだから間違いはないとういうことだった。入試の一週間前のことである。
結局、京大は落ちた。京都に住むことへの憧れが抜け殻のようになっていた私は、同志社ではなく、旅行気分で受験した北大へ進むことにした。九州と北海道「どちらにしようかなかみさまのいうとおり」で指が差したのが後者だったのだ。今の自分を考えれば不思議な縁である。
大学2年生のとき、Yさんが進振りで医学部医学科に決まったということを知った。それ以後のYさんについて、風の便りもない。

 今日はバレンタインデー!頑張れ受験生!