辞〜別れの言葉

yosuke0araki2004-02-15

 辞という文字には、別れという意味と言葉という意味の両方が含まれていると習った記憶がある。別れというのは、それまでの人間関係が凝集される瞬間であり、そこでの言葉というのは時として芸術的なまで人の心を打つことになる。
 Boys,be ambitious.というのは、クラーク先生が札幌農学校の学生達に最後に残した言葉。あまりにも有名であるがゆえに文脈から離れて言葉が一人歩きし、俗な出世に拘る小人というイメージを先生に対して持つ人が多くなった。
 しかし、この言葉は「Lofty Ambition」と題される農学校の開校式における先生の演説を抜きにしては意味をなさない。官吏になっても創業しても芸術に人生を捧げてもいい。ただし自分のやっていることが社会のために役立たせる。そういう高邁な野心を持ってほしい。開校式で先生は凡そこういうことを述べた。
 残念ながら、北大においても先生の語ろうとしていた言葉は忘れられてしまった。残ったのは銅像だけである。先生の言葉が形を変えて受け継がれているのは同志社であろう。新島襄鎖国の禁を犯して函館からアメリカに渡り、そこで師事したのが若き日のクラーク先生だった。クラーク先生が日本への赴任を承諾したのも、新島襄との結びつきがあったからだという人もいる。同志社の社訓、そういうものを北大は教官も学生も真摯に受け止める必要があると思う。
 私の印象に残っている言葉には、他にOld soldiers never die,They just fade away.というのがある。マッカーサーという人間、私は嫌いだが、この言葉には彼の52年の軍歴が凝集されている。彼の軍歴は、良くも悪くも世界史そのものであった。日米の20世紀前半の歩みに思いをはせながら、国会での演説を朗読すると、このセンテンスで感情が大きく高ぶる。こういう辞を生み出すことができる人生というのは羨ましいと思う。