劉邦の組織
面白半分に漢の劉邦の部下を近代の軍部の職制に擬えたことがある。蕭何は軍部大臣、張良は参謀総長、陳平は参謀次長、韓信は第1軍司令官、曹参は第1軍参謀長、彭越は第2軍司令官、英布が第3軍司令官。
これが三国志になるとそうはいかない。諸葛亮も司馬懿も万能型の優等生でありどの役割にも該当してしまう。そもそも軍政と軍令、スタッフとラインの役割分担がなされるようになったのは、戦乱に明け暮れた人間の歴史の中ではごく最近のことである。近代の軍隊においても参謀飾章をつけることが、現代の中央省庁においても法令事務官となることが登竜門になっており、参謀業務や法令事務というパーツに万能性を要求しているきらいがある。それを考えると劉邦にはなんと多彩な部下がいたものか、それをなんと合理的に起用したのか感嘆せずにはいられない。
史記によると、このことは劉邦自身も認識している。項羽の見掛け倒しの仁義よりも劉邦の真心が勝ったという部下に対して、蕭何・張良・韓信の三人を挙げ、彼らを使いこなしたのが自分が天下をとった所以だとした。
織田信長の部下の掌握法にも私は興味がある。彼のはペアリング方式。徳川家康と柴田勝家という信義厚い戦上手、羽柴秀吉と明智光秀という才知あふれる行動家、丹羽長秀と滝川一益という築城・密偵の特殊技能保持者を有し彼らが互いに競争することで組織を拡大していこうとしたのだ。
結果的にはこれは破綻をきたす。秀吉との勝負がつきかけたとき、光秀は本能寺へ向かったのだ。競争する以上は優劣も生じるのであり、信長はそのことへのフォローを怠ったと私は考えている。しかし、このペアリングという方法そのものは、まだまだ人材掌握のために大きな可能性を持っていると思う。
人間は誰でも万能でなければ無能でもない。人間の可能性を引き出せるのが、よい組織なのであり劉邦と織田信長には、そのための斬新な発想を見て取ることができる。