源氏物語と私

yosuke0araki2004-04-24

 富山中部高校の古典の授業は史記源氏物語を教材として取り上げている。この難解な古典を読みこなすのが数十年来の伝統だということであったから、18年先輩の田中耕一氏も、24年先輩の高橋はるみ氏も、高校生の頃の国語の時間にこの壮大な人間ドラマに触れたかもしれない。
 私にとって史記は小学生の頃からのなじみある作品であったが、源氏物語との出会いはこの授業が初めてだった。女性遍歴の物語という源氏の一般的なイメージが思春期以前の私にとって遠いものであったのだろう。しかも源氏はロリコンにしてマザコン。とても読みたい題材ではなかった。
 しかし源氏は単なるプレイボーイではなかったし、物語には現代にも通じる重厚なテーマが幾重にも重なっていた。以前、源氏物語が純愛・不治の病・死をつなぐ物語だとしたが、それだけではない。70年にわたる政治ドラマとして物語を見たとき、白い巨塔など遙にかすむ。
 源氏物語はそのモデルを、醍醐・村上両朝及び藤原道長からとったというのが、よく指摘されることである。しかし紫式部史記にも精通しており、そのことが物語を滋味豊かなものにしている。弘徽殿の女御の貫禄は漢の高祖の皇后である呂氏がなければ有り得なかっただろうし、薫を抱く源氏の苦悩は秦の始皇帝の出生の秘密がなければ有り得なかっただろう。
 私がさらに源氏に強く惹かれたのは、京都での浪人時代のことだった。瀬戸内寂聴の訳が刊行された頃だったが、私は田辺聖子の意訳に始まり与謝野晶子谷崎潤一郎を続けさまに読んだ。特に好きだったのは宇治十帖だった。暇な午後は京都からわざわざ宇治へ行き、その川辺で読みふけっていた。蚊に刺されることも、この世界に入り込む代償としては小さなことだった。しかし宇治十帖は単品としては成り立たない。源氏・夕霧・匂宮と続く大きな流れと頭の中将・柏木・薫と続く大きな流れ、これを前提にして浮舟の悲劇は存在するのだ。知るごとに大きくなるのが源氏の世界だった。
 圧倒的な文量だから向き合うのに躊躇することもある。しかし時間をつくってまたこの作品を味わいたい。