人命尊重をもって国策を誤るな

yosuke0araki2004-04-25

 第一次世界大戦といえば20世紀人類の主要な惨禍であるが、その全期間における戦死者よりも、末期に発生したいわゆるスペイン風邪による病死者の方が多いということは意外に知られていない。戦死であるか病死であるかにより、身近な人の受ける衝撃は大きく異なる。しかし個々の人命がそれぞれ絶対的に尊重すべきものであるならば、一つ一つが対等な価値を有するものとして扱わなければならない。その意味で、戦争回避のための外交努力よりもインフルエンザに対応するワクチンの開発が、当時の人類に対してより大きな貢献をしたと見ることもできる。
 こういう比較衡量は以外なほど政策判断に用いられていない。狂牛病SARS鳥インフルエンザなどの新たな病気が発生する度に、疑わしきは罰する徹底的な感染防止策が講じられた。人命を守るという一点のみが強調されて、その経済的なロスは甘受することになった。原則論を唱えられると反論は難しいのだけれども、日本には毎年、交通事故死者1万人、医療事故死者推定で5万人が存在する。自殺者2万人のうちの多くも経済施策により救われたかもしれない。危険だからって自動車の使用を禁止しますか?政策論としては、水際の規制を緩和した上で、牛からの感染によりヤコブ病になった人に経済的な補償をするということも考えられる。人命尊重の方法は一つではないのだ。国民及びマスコミの冷静な議論と、それを可能にするような行政など当事者による情報提供こそが今後求められるものである。
 イラクにおける日本人人質事件は27年前のダッカにおける轍を踏まぬようにとする政府の毅然とした態度が事件を収拾させた。目の前の3人の生存可能性を高めることよりも、今後テロに晒されるかもしれない匿名の多数者の危険回避を優先したのであり妥当なものであった。ただ事件後は当事者の自己責任が強調されるけれども、ここでも単なる非難ではなく冷静に議論する必要がある。
 日本人であるがゆえにジレンマを生じる議論としては、中国における麻薬事犯に一審死刑が宣告されたことがある。日本の刑法に慣れている日本人にとって一見不条理であるかもしれない。私自身は、半世紀前の制定時にはいざ知らず現在においては死刑制度が違憲であるかもしれないし、立法論としては廃止するのが望ましいと感じているが、それは別の機会に述べたい。しかし中国にいる以上は中国の法で裁かれるのが当然であるし、その量刑は被告の自己責任である。日本政府が横槍を入れて、そのために経済問題などで譲歩を強いられるようなことはあってはならない。
 目先に囚われず何が大切かを見失わない。それこそが求められるリーダーシップの大きな要素だろう。