今村均将軍とイラクの自衛隊

yosuke0araki2004-05-01

 オランダ軍とともにサマワに駐留する陸上自衛隊の第一陣は第二師団麾下にある名寄の連隊から選抜された。今村均将軍を司令官とする第16軍がオランダ領インドネシアへ侵攻したときの基幹も第二師団であった。歴史の巡り合わせを感じる。
 インドネシアは、太平洋戦争中に日本の占領統治がもっとも成功した地域である。それには、原油を戦争の目的とした参謀本部により第16軍が優遇されたこと、米英の主たる反攻ルートから逸れたことなどの外性的な要因もあるだろう。しかし今村将軍の人徳によるところも大きかった。日本が牽引役となってアジアの独立を達成するという大東亜共栄圏の理想のもと独立の志士スカルノを支援した。スカルノが後に戦犯となった今村将軍を救出するというのは物語的でさえある(彼の日本人妻デヴィ・スカルノが未だにメディア露出しているというのも物語的だけど)。
 今村将軍は、硫黄島で玉砕した栗林忠道将軍と並んで太平洋戦争時の名将だと私は考えている。しかし柳条湖事件と廬溝橋事件における対応には不整合を感じている。
 柳条湖事件において、参謀本部今村均作戦課長は河邊虎四郎作戦班長とともに不拡大を主張したが、関東軍の石原完爾作戦主任参謀の意を受けた武藤章兵站班長に押し切られて満州事変となった。廬溝橋事件においては参謀本部の石原作戦部長は河邊戦争指導課長とともに不拡大を主張したが、関東軍の今村参謀副長の意を受けた武藤作戦課長に押し切られて北支事変さらには日中戦争となった。
 当時の不拡大派は、日露戦争以来の伝統によりソビエトを仮想敵国としているのであり平和主義によっていたのではないことには留意する必要がある。しかし日本陸軍屈指の頭脳を持つ二人の主張が完全にひっくり返るというのはどういうことだろうか。確かにマックス・ウエーバーは、組織の主義を自己の主義として取り込むことができるというのを官僚の定義として取り入れている。しかし彼らの決断は日本の進む道を決した。優秀な官僚であるというだけでは、歴史の中で評価に足りるとは限らないのだ。
 番匠幸一郎一等陸佐自衛隊ホープとしてイラクに渡った。名寄では数千人におよぶ部下の顔と名前を全て憶えたという頭脳の持ち主である。もちろん、シビリアンコントロールが貫徹されている現代の自衛隊においては政治判断に従うということが何よりも求められる。しかしイラクでの活動での成果が、今後の防衛さらには外交に重大な意味を持つのは事実である。人徳を以て民心を掌握すると共に、今後の日本はどうあるべきか、今までに暖めてきた信念を大事に活動してほしい。