第98回文学界新人賞から

yosuke0araki2004-05-08

 ゴールデンウィークは北上・角館・弘前を旅したが、既に散っており、北海道の満開を羨んだ。帰宅すると定期購読している「文学界」の6月号が届いていた。その誌面で発表される文学界新人賞は、モブ・ノリオ氏の「介護入門」が受賞した。
 新人賞の選考委員は辻原登奥泉光島田雅彦浅田彰の各氏。その撰評、他の五つの候補作がどれも似通った「透明感のある文体」であることへの批判が目立っていた。作者本人に限りなく近い性格の主人公による一人称で、対象とする社会との安定的な関係を前提として、ちょっとした事件を起こして小説としての体裁を整えるこの文体は、今回の候補作の多くで用いられているというだけではなく、日本純文学の主流となっている。個々の文章は作品ごとに緻密になっているのだけれども、作者と主人公の近さ故に一つ目で見るような距離感のない作品になってしまう。写生がダメなわけではない。けれど中には印象派キュビズムがあってもよい。
 この撰評を踏まえると、歴史的な注目を集めた第130回芥川賞についても考えさせられることは多い。受賞作は「すばる」「文藝」という、今までほとんど芥川賞と縁のなかった雑誌からであり、それも最初の候補作での受賞であった。若い二人であることからも、新風を呼ぶことを期待されるのであるが、彼女たちの作風は、まさにこの透明感のある文章であったし、他の三作も同様だった。
 「蛇にピアス」は、身体改造という一見なじみのない対象を取り上げながら、その底流はセックスにある。石原慎太郎氏「太陽の季節」や村上龍氏「限りなく透明に近いブルー」の現代版という感じの作品である(個人的な嗜好としては感心しないが)。しかし安易すぎる殺人事件を見ると、作者から見える世界が案外狭いのかなあと思う。「蹴りたい背中」は、「小さい世界を書いているのに賞は大きくて」という作者の言葉が印象に残っている。ただ人間の心を掘り下げていった作者の良識を感じた。しかし対象を広げることだけで作品は大きくならない。脇役の心をも浮き彫りにすることで立体感ができるのであり、早くそういう厚みのある作品を出して欲しい。「生まれる森」は、やるせなさを上手く形にしているけれども、流暢な文章が高慢に感じられて親しみは持てない。しかしクラッシック音楽のようなしっとりしたムードは好きだ。「海の仙人」は物語を作りすぎている。物語を作ることで作風を変えるよう見えるけど、かえって主人公に深く踏み込めないのかもしれない。つい前作「イッツ・オンリートーク」と比較されてしまうのは作者の不幸かもしれない。「ぐるぐるまわるすべり台」は、バイトとバンドの温度差が妙なリアリティーになっている。二つの場面を並行させることで主人公を浮かび上がらせているのだけれども、それだからこそ主人公のどこが普遍的なものなのか謎解きをする必要があった。
 いずれの作品も主人公一人に視線を注ぎながら、その「私は誰?」という問いかけには納得のいく答えを提示していない。これは個々の作品というより、主流となっている作風そのものの限界なのだろう。言うは容易く行なうは難し、私が何か書けるかというと不可能だろう。しかし今は救世主を待つ気持ちでいる。