死刑制度

yosuke0araki2004-07-14

 結論から述べると、私は死刑制度を廃止すべきだと考えている。これは、私のことをよく知る人には意外かもしれないけれども。
 最も大きな理由は憲法である。死刑は憲法の禁じる残虐な刑罰にあたる。
 これに対して判例通説の立場によれば、憲法は残虐な刑罰を禁止する一方で、「何人も法律によらなければ生命その他を奪われない」としており、この文言は生命を奪う刑である死刑を容認しているということになるが、妥当なのだろうか。そもそも残虐であるかどうかは、社会通念によるものである。何百万何千万の無辜が殺害された戦争の直後と、今日の日本では生命を奪うことの残虐さの度合いが同じでは有り得ない。憲法制定時は残虐ではなかったから合憲だったものが、今日において残虐であり違憲だったとしたら「法律によらなければ生命を奪われない」の反対解釈とも矛盾しない。それなら、死刑が残虐であるかどうか、社会の代表者である国会議員の判断、すなわち立法政策に委ねるという立論もできようが、これは三権分立に違反する。違憲立法の審査権は裁判所にあり、裁判所として今日の生命の重みに照らして死刑制度の違憲判断を下すべきである。
 実際の判決には相場のようなものがあるようだ。一人殺せば懲役7年、二人殺せば無期懲役、三人殺せば死刑。もちろん警官や幼児殺しに厳しくなったりと個々の事件によって量刑は変動するが、この相場の存在を明らかにしたのが最高裁判所永山則夫事件判決だった。四人殺しで死刑以外を選択するのは判例違反だとして高等裁判所無期懲役を破棄差し戻したのである。事件当時は少年だったこと、不幸な生い立ちだったこと、ほとんど自首に近い逮捕だったこと、顕著な悔悛の情が見られることなど全てに優先したのは四人という被害者の数だった。これでは、眼には眼を歯には歯をというハンムラビの掟に変数をかけただけに過ぎない。
 政治犯に対して刑法はさらに厳しくなる。内乱罪ならば無期懲役の選択肢もあるが、外患誘致罪になると量刑は死刑のみである。このような条文はめったに適用されることはないが、国家にとって伝家の宝刀になっている。
 実は日本においては、三百年にわたり死刑制度が廃止されていた時代があった。薬子の変藤原仲成が処刑されてから保元の乱源為義らが処刑されるまで平安時代の大部分がそのような時代だった。
 死刑を廃止するといっても簡単なことではあるまい。しかし平安時代の「人の命は一度失ったら元には戻らない」という何某かの天皇の勅は、今でも新鮮である。いずれにしても、感覚だけで賛否を問うのではなく国民全体の理解をふまえた議論が必要な問題である。