地方分権と蘇秦の合従論

yosuke0araki2004-07-18

 以前、道州制について懐疑的に述べたことがある。しかし、私は北海道職員であり、もちろん地方分権を推進すべきだと考えている。

 自治体を中央省庁が制御する手段として、カネとヒトの二つがよく指摘されている。まず、歳入は地方よりも国が多いのに、歳出は国よりも地方が多く、その埋め合わせをする補助金の存在が国と地方の上下関係を規定しているという議論がある。三位一体改革はこれを是正しようとするものではあるが、規模は小さく根本的な解決にはほど遠い。次に、国と地方の人事交流の存在がある。人事交流そのものは互いの立場を理解する上でも望ましいものである。しかし自治体プロパーが係長にもなっていない年齢の課長が国から出向してくるということが組織として望ましいことだろうか。確かに私が存じ上げているそういう立場の人は皆が非常に魅力的な人ではある。しかし外部の魅力的な人材を優遇するよりも、内部の優秀な人材を抜擢して能力のある学生をリクルートすることの方が自治体にとっては先ではないだろうか。
 カネもヒトも中央省庁の中でとりわけ、旧自治省(現総務省であるが今日でも旧3省庁毎の人事体制を崩していないため以下もこのように表記する)による制御が最も強い。地方交付税交付金は、基準財政需要額を算出するために細かい統計データを多用するため、事務当局の裁量幅が広く実質的に旧自治省補助金となっている。各都道府県における総務部長・財政課長などの枢要ポストの多くが旧自治省の指定席になっている。地方交付税交付金には人口比例など誰にでも分かる配分方法があることだろうし、旧自治省にポストが足りなければ旧郵政省と調整すればいいだろう。
 カネとヒトの縛りだけではない。私は第三に法の縛りを感じる。日本国憲法が「法律の範囲内で条例を制定することができる」としているのは当然のことである。しかし地方自治法第14条は「法令の範囲内で条例を制定できる」としている。議会で制定する条例がそうではない政令に劣るというのはどうだろうか。中央省庁において法律を起案するのは入省8年程度の課長補佐、政令を起案するのは入省4年程度の係長からだそうである。自治体にどれだけ勤務しても、20歳代の係長のデッサンに規定され続けることになる。
 このような状況を改善するためには国とやりあうことができる自治体の代表機関が必要になる。本来それは旧自治省であるべきだが、いつまでも内務省地方局のままで当てにはならない。私は、都道府県知事会の事務局を拡充することでこの道が開けると考えている。各自治体から選り抜きの人材で事務局を構成し、ここで具体的に踏み込んだ法改正案を提言していく。単発的にではなく、これを継続的に行うことができれば国と地方の関係は大きく変わる。

 私がここで想起するのは戦国七雄のうち秦が突出していた時代に張儀が提唱した連衡論と蘇秦が提唱した合従論である。張儀は六国が個別に秦と同盟を結ぶべきだと主張した。いずれの六国も他国より秦と親密になろうと、不利な条件を甘受することになった。蘇秦は六国が連携して秦との均衡を維持しようと主張した。結局、六国の丞相を兼任した蘇秦は失脚し、商鞅張儀などの外国人宰相を輩出した秦が天下統一して郡県制をしいた。対等な六国と自治体では一緒にはならないけれど、巨大な権限を持つ中央省庁に対して個々に対処するよりも、知事会などを根城に結束することが自治体にとって有益ではないだろうか。そのためには、多様な自治体が各論での利益相反を乗り越えるべく互いに理解していくこと、さらには長期的な展望が絶対的に必要となる。