山の辺の道

yosuke0araki2004-10-02

 台風19号は、大成町太田地区で死者をだすなど、檜山管内にも大きな爪痕を残した。江差の庁舎も、国道228号線・229号線と道道5号線そしてJR江差線が寸断された結果、陸の孤島となった。新しく太い道路と古く細い道路が並走しているのは、歴史ある地域ではよく見かけることだ。今回の災害でも国道が封鎖されても旧道が生き残った箇所も多くあったという。旧道が完全に廃れた場所での寸断が、陸の孤島という事態を招いたのだ。
 大量のヒトやモノを、より快適に、より速く輸送するという観点からは、旧道は新道に全く及ばない。しかし、長期的な安全保障ということを考えると、地形の特性などへの考慮に感心させられる。そういう意味で、近代以来の旧道以上に古代官道により興味がある。古代官道のうち代表的なものは、奈良県内を南北に縦走する山の辺の道だろう。新都平城京と旧都藤原京をつなぐ、いわば国道1号線である。しかし驚くべきことは、当時その官道のネットワークは東北や北陸にまで張り巡らされていたということである。
 現代にはない古代官道の特性としては、まず山地と平地の接するところに道が走っていたことが挙げられる。われわれの感覚からすると、利用価値の高い土地を効率的に行き来するためには平地の真ん中を突っ切る方がいいように思える。しかし、実際に古代官道の一部を歩いてみると、それがいかに合理的なルート設定か感心させられる。あちらこちらに湧水があり喉を潤すことができ、夏も冬も気温が比較的安定しているなど、森の恵みを丸ごと享けとめられるだけではなく、人家より若干高い位置にあるため、地域全体を見渡しながら歩くことができるのだ。山の辺というのは、歩きやすいものだった。
 また、当時は一定の距離ごとに駅が置かれていた。駅伝制は近代の宿場のようなものだが、場所すら特定されていない駅が大多数であることからすると、それほど大きな規模ではなかったようである。しかし、その一方で駅を基点に街がつくられたりしている。
 今、高速道路も新幹線も高低を無視した真っ直ぐなルートで建設されている。道の駅が整備されても、それは道の駅を基点にした街造りとはいえない。時代が変わったんだから、古代官道賛美は錯誤でありナンセンスだけれど、道路建設について考えるとき何らかの示唆が得られるのではないかと思う。