文民統制と統帥権の独立

yosuke0araki2004-10-24

 三権分立は、あまりにも有名な言葉だが、モンテスキューの議論の射程を超えて理解されることが多い。彼は、国会を君主の統治権から独立させ、監察機関を強化しようとしただけなのであり、必ずしも統治権(=行政権)が内閣などに集約されるべきだと考えていたのではなかった(だから地方主権三権分立に反するという議論はナンセンスなのである)。
 漢では丞相(司徒)・御史大夫(司空)・大尉の三公が、それぞれ内政・監察・軍事を統べていた。唐では六部(吏・戸・礼・兵・刑・工)による行政一元化がされた。明清期には丞相が廃され吏部尚書・兵部尚書が同輩中の主席とされたものの、都護府・都察院が兵部・刑部の軍事と監察を掌握したため、三権分立が確立した。戦前の日本において、司法権の独立と共に統帥権の独立が声高く叫ばれたのには、このような歴史的な背景がある。
 さて、大戦を経た世界では軍部の文民統制が主流である。平和憲法の日本においては、文民である防衛庁長官の下に統合幕僚会議議長がいるが、これは現役武官である軍部大臣と参謀総長軍令部総長が並立していた戦前と比較すると二重の意味での統制がされている。つまり軍政が軍令の上にあり、行政が軍政の上にあることになるのだ。
 ここまでは憲法に則したあり方だと思うのだけれど、私は必ずしも文民統制が内局優位を意味はしないと思っている。つまり、防衛事務次官統合幕僚会議議長は対等であるはずなのに、実際にはこれが上下関係になっている。軍の暴走を防ぐのは、民の支持を得た政の役割であり、官の領分ではない。ここをはき違えると、プロパーよりも他官庁からの出向組が優位を占める防衛庁において、素人の統帥が行われることになる。
 さらにラインとスタッフという観点からも現在の統帥のあり方には疑問が残る。同じ将の階級ではあるものの、各方面総監や自衛艦隊・航空総隊司令官が中将相当なのに対し、陸上・海上・航空の各幕僚長は大将相当になっている。軍事組織がラインを軸とした指揮の体系である以上、スタッフは補佐に徹するべきであり、その階級は謙抑的でなければならない。
 そうすると、北海道においては北部方面総監をもっと重んじろということになる。防衛は国の専権事項だからというのではなく、もっと北海道知事と北部方面総監が連携するという青写真が私の中にはある。