文化センターとしての中学校

yosuke0araki2004-11-23

 北海道庁には約8万人の職員がいる。知事部局に2万人、教育部局に5万人、警察部局に1万人。かくいう私もその端くれである。
 さらに道内における国の出先機関にも約2万人が在籍している。これらの出先の多くが、北海道一円を管轄しており、知事部局と業務の多くが重なる。だから機関の長は別々になるけれど、北海道行政における人員のあり方という意味では、〆て10万人をどうするのかという視点で考えていかなければならない(市町村においては、北海道というよりもっとローカルな合理性を模索する必要がある)。
 10万人のうち半分を占めるのが教育部局である。つまり大多数の小・中学校が市町村立の学校であるけれど、その教職員は北海道職員の身分を有する。さらに、その給与の半分は国の補助金により賄われており、これが総理の諮問を受けた知事会により廃止提案されて注目されているところである。
 教育部局のうち私が最も注目しているのは中学校のあり方である。単に生徒と向き合うだけならば、少子化に対応して、その役割は小さくなるばかりである。量から質へ教育の重点を転嫁させていくということも、学校の力不足から学習塾や予備校などの受験産業が隆盛しているという現状を踏まえればいいわけでしかない。しかし、そもそも現在の市町村の枠組みは中学校設置を目標に戦後できあがったものだということは、別稿で述べた。私は中学校が地域の文化センターとしての役割を担うべきだと考えている。
 体育館・グランドや図書館、それに増えている空き教室。こういうものを市民に開放することで、その文化的な蓄積を地域に還元することができる。中学校の有する文化的な最大の資源は教員であろう。小学校と異なり、中学校の教員はそれぞれの教科の専門家である。教職の側ら、研究活動や社会的な活動を担うというのは大学では当たり前である。社会科の先生が郷土史の研究をしたり、理科の先生が一般向けの公開実験教室をしたりというのは、もちろんあるけれど、一般的な潮流にはなっていない。個々の教員がというのではなく、中学校そのものがそういう方向性を持つべきだと思う。
 文化センターに成り得るのは高等学校も同様である。私は、中学校と高校が、中高一貫校などの連携を模索する必要がある。ここには中学校が町立であり高校が道立であるなどの行政上の問題、受験を経る高校とそうでない中学校の入り口の問題がある。しかし、小学校と中学校の性質の違いは大きく、安易に小中学校をつくるのが効率的な行政のあり方だとは思えない。思春期の中学生には、高校生や一般人との関わりの中で社会性を身につけてほしい。
 本来、多様な住民に対応できる資質を持ちながら、特定の業界だけを向いている機関は何も学校だけではない。そういう縦割りを脱却できないとすれば、10万人にとっても500万人にとっても不幸なことである。