7℃の衝撃

yosuke0araki2004-11-28

 年平均気温を考えるとき、いささか誤差はあるものの私は7℃を基数にしている。
 つまり亜寒帯の札幌は7℃、温帯の東京は14℃、亜熱帯の沖縄は21℃。標高は1000m毎に7℃づつ低くなる。もちろん高地でも高緯度地でも夏は30℃近くなることが多いから、温度差は冬がより大きいだろう。しかし気温の水平分布と垂直分布を基数一つで把握することは、国内を旅行するときに大いに役立っている。
 さて最近もう一つの7℃を新聞記事で目にした。地球の温暖化により、100年後の22世紀には日本の気温は7℃も上昇するという説が発表されたのである。22世紀の札幌や関東1000mの高地は、21世紀の東京並になるということだ。この説が意味する事実の大きさに衝撃を受けるとともに、NHKスペシャル「生命」「地球大進化」などが繰り返し述べてきた地球の脆い均衡を想起していた。
 この社会的な影響について、私はまず北海道農業を考えた。気象変動が世界の日本の農業生産性を低下させ食料供給を逼迫させるにも関わらず、北海道は温帯に移行することで生産性を高めることができる。だから来るべきときに備えて天下百年の大計の下、農業構造を転換させるべきだと。しかし現在の日本は、土地生産性が低いから食料自給率40%に甘んじているわけではないから、北海道の気象条件が好転したとしても、それによって食料基地になる可能性は小さい。だから農業の維持を、食料供給安定のための保険と考えるとしても、今の保険料水準は高すぎるという事実は動かないだろう。それに農地は一旦壊すと復旧が難しいというけれど、生産性の低い零細農家を退出させて大規模効率化を図ることの方がより困難である。そうであれば、農業保護政策を止めることが、市場参入者を選抜し、外国との価格面での競争できるようにし、温暖化のもたらす食料危機への対応策となる。
 農業以外に私は温暖化がプラスに働きそうなことを考えることができなかった。しかし温暖化を黒船に、それを阻止するために産業構造を抜本的に改革していくことはできると思う。まず公共交通機関の建て直しである。人口の希薄な北海道には、公共機関だけでは満足な移動をすることができないために、自家用車の利用が一般的になり、そのことが更なる公共機関の縮小を招くという悪循環が存在している。自動車税の重課などにより自家用車の利用を妨げる一方で、行政が捻出した資金により公共交通機関を支えていくことができよう。これによってのみ、車を持たない田舎暮らしの人は健康で文化的な生活を享受できるようになる。なお、地方税法により自動車税には10%の制限税率が設けられているが、百年の計の下に社会の形を設計していくためには、このような規定は打破しなければならない。
 他にも、温暖化を阻止するという大義を掲げて改革できる分野は多く存在する。例えば、電力の火力依存からの脱却、本州から北海道へ渡る環境負荷の大きい商品に対する国内関税の賦課。いずれにしても、今日の10円より明日の100円を取る国民・住民の見識と、明日の100円をわかりやすく提示する政治や行政のあり方が求められる。