女帝論議

yosuke0araki2005-01-29

 皇室典範の改正がにわかに現実味を帯びている。女性天皇を認めるかどうか、秋には方向性を示すことになるという。
 この議論は、イメージばかりが先行して、肝心の点が疎かになっている非常に危険なものだと私は考えている。確かに、男女平等の現代において皇室だけがそれに反するというのは一般的な感覚から離れているようでもある。推古天皇以来、何人もの女性天皇が即位しているのであり、また女性天皇でもよいだろうというのは、ごく自然な発想だろう。しかし、皇室典範の「男系男子」のうち、この議論で軸になっているのは「男子」の側だけなのだ。大日本帝国憲法の第1条が「万世一系天皇これを統治す」とあったように、BC660年の神武天皇即位以来、「男系」で脈々と受け継がれてきたところに、天皇制のアイデンテティがあるのである。だから今までの女性天皇は、幼少の皇位継承候補者が成人するまでの中継的な色彩が強かった。愛子様天皇になるのは構わないとして、愛子様の子が天皇になればアイデンテティ崩壊を意味する。もしこのアイデンテティを否定するならば、そもそも世襲制そのものが非民主的なのだから、天皇制そのものの存在意義をも問うことになりかねない。
 諸外国についてみると、イギリス王室では、男性優先で女性にも継承権を認めている。今後の議論では、これが参考とされるであろうが、皇位継承の仕方は歴史に根ざしたものであるから、科学技術のように、いいものを取り入れればいいとはいかない。イギリス初めての女王はヘンリ8世の娘のメアリで、その妹のエリザベス1世のときに繁栄を迎えるのだが、その前から女性がらみの継承によって、ノルマン朝以来たびたび王朝が変わっている。万世一系の日本との比較はできないのだ。
 では、秋篠宮より40年にわたり男子誕生をみない皇室は、この現実にどう対処すればよいのだろうか。敗戦後まもなく昭和天皇との血縁が遠い多くの宮家が、華族制度の廃止と連動して皇族を離れた。私は、この旧皇族を必要な範囲で復籍させるべきだと考えている。これらの人は、愛子様と異なりメディア露出することもほとんどないので、国民的な感覚から遠いのは否めないが、歴史的にみるとこれより他に天皇家を維持する手立てはない。つまり継体天皇は、応神天皇の5世の孫にあたる。応神・仁徳の直系にあたる武烈天皇に男子がいなかったため、大伴金村らにより越前から擁立された。また宇多天皇は、光孝天皇の子であるが臣籍降下して源定省(みなもとのさだみ)の氏名を賜っていたものを、天皇崩御のみぎり親王宣下されて翌日、践祚した。この二つの故実は、現天皇との親等が遠くても、一旦皇籍を離れても皇位継承の資格があることを示しているのだ。
 皇室典範を改正するだけなら、通常の法律改正と手続的には何ら異ならない。しかし皇室典範の改正は、日本国民にとって天皇とは何なのかを問いかけるものであるから、当然に憲法にも議論が及ぶことになる。天皇とは何か、民主主義とは何か、国家とは何か、そういう根本的な問いに日本国民一人一人が答えていく中で出すべき結論の一つが女性天皇の可否なのだ。