総合芸術としての茶道

yosuke0araki2005-03-04

 この頃、海外旅行などで外国人と知り合う機会が随分と増えた。会話が弾めば当然、日本ネタの提供が求められる。そういう時の私の持ち駒の一つが茶の文化である。もっとも茶に注目するというのは私のオリジナルではない。古くは岡倉天心が「茶の本」の中で日本文化の象徴として茶を紹介している。「茶の本」は新渡戸稲造「武士道」・内村鑑三「代表的日本人」と並ぶ明治期の三大英文名著。私などが蛇足するのはおこまがしいことであるが、少し付き合ってほしい。
 茶の歴史は中国に始まり近世においてはイギリスで隆盛を迎えた。茶の輸入のため対中貿易において銀の流出を強いられたイギリスは、英領インドでの茶の栽培を開始。ダージリン・アッサム・セイロンなどは世界的な茶産地として今に至っている。日本の茶は臨済宗の開祖である栄西が宋から京栂野に持ち帰ったものが始まりだという。しかし日本の緑茶は未発酵、中国の烏龍茶は半発酵、イギリスの紅茶は既発酵の茶葉を用いているということ、さらにはインドにおけるチャイの存在にも見られるように茶は世界へ広がる中で一語では言い表せない多様なものになっている。
 しかし世界の茶の文化の中で日本の茶は際立っている。それは飲料としての茶そのものではなく、茶の作法がそれだけ特殊な発展をしてきたということである。亭主が来客を一碗の茶でもてなすということを千利休は茶道として大成した。爾来400年、茶道は様々な日本文化を自らの中に取り込んでいったのである。例えば床の間をみてみよう。そこには軸があり香炉があり花入があり、書道・香道・華道がこの中に息づいている。例えば千家十職を思い起こしてほしい。それは裏千家御用達であるところの陶工・釜・塗・指物・金物・袋物・表具・細工・柄杓・陶器の職人の家系のことであるが、その存在は茶道が幅広い日本の伝統工芸の技に支えられているということを示している。また茶の文化は菓子を育てていった。京都・金沢・松江といった都市で洗練された菓子が生まれているのは、その土地で茶の盛んであるということと連動している。
 ところで私も、小学4年生の頃からしばらくお茶のお稽古に通っていた。何分にも小学生のことなので、これがどういう手前なのか体系的に意識していたわけではないのだが、今思えば小習十六箇条は随分と楽しんでいたように思う。作法というと定型画一な印象を与えるけれども、この16パターンを状況に応じて選択することで、柔軟で人間的なコミュニケーションが可能になる。成長した私の記憶の中で荘物は小さくなってしまったけれども、貴人点・貴人清次や大津袋は真新しい。そしてまた、ここで底流する「茶は服のよきように点て炭は湯の沸くように置き冬は暖かに夏は涼しく花は野の花のように生け刻限は早めに降らずとも雨の用意して相客に心する」という姿勢は、茶道に限らず普遍的な人間のあり方だと思う。