韓国旅行

yosuke0araki2005-03-26

 春分の前後の5日間を利用して韓国旅行をした。台湾・ニュ−ジ−ランド・インド・イギリス・仏独伊周遊に続く6回目の海外旅行は、ソウルを起点及び終点として、百済の都であった泗比・熊津、新羅の都であった慶州を巡るというものであった。見所をはじめ宿泊・食事・買物のどれをとっても申し分のないものであったし、韓国は時間の制約にも予算の制約にも柔軟に対応できる国であった。旅慣れてきたはずなのに、これほど旅を楽しめる国が隣にあることを知らなかったのは奇妙なことだった。
 しかし、世界を股にかける旅行者に、韓国は概ね不評である。言葉は、その大きな原因だろう。文法についても、発音についても日本語及び韓国語はインド・ヨ−ロッパ系の言語には馴染みにくい。このため日本人と同様に韓国人も英語が苦手であり、英語さえできれば世界を飛び回れるというグロ−バルな感覚の旅行に支障をきたすことになるのだ。おまけに自国文化の尊重ということからハングル表記が原則になってしまったので、日本・中国との共通資産である漢字が消滅の危機にある。さらに、欧米人にとっては、日本と中国が東アジアの中心になったことのある二大国であるのに対して、韓国の認知度が低いということもあるだろう。2002年のサッカ−WCにおいては、日本の会場・ホテルの多くが満員となったのに対し、韓国のホテルはイギリスの旅行代理店の背信的キャンセルもあって空室が顕著であった。また、韓国での対日感情がよくないことは日本でもよく知られており、そのことが日本人にとって韓国を近くて遠い国にしてきた。私は、以上の理由から欧米と日本の旅行者から韓国が敬遠されていたものと考えている。
 しかし私は、言語よりもむしろ相手への関心こそがコミュニケ−ションでより大切なものであると感じている。道が分からないとき、単語だけでも自分の行きたい場所を通りすがりの少年に伝えることができるし、その少年が私に関心を持ってくれるなら、わざわざ目的地まで歩いて連れていってくれることもある。そういう時、感謝の気持ちだけでも現地の言葉で伝えることができれば、私と彼の間の言語の壁は無いも同然である。そういう旅をしている私には、英語理解者の多少は大きな問題ではない。ついでながら、ハングルは仮名と同様に合理的に造られた文字であり、習得は比較的容易である。これを勉強してからであれば、韓国の旅はもっと楽しくなるに違いない。
 対日感情ということを最も強く感じたのは、島根県議会が竹島の日を制定したことに端を発した問題について、釜山で街頭配布のビラをもらったときだろう。竹島問題については、書店でも大きなコ−ナ−が設けられていた。しかし日本人(イルボンサラム)であることによって、私自身が肩身の狭い思いをしたことは一度もなかった。韓国の対日感情は、植民地支配に結びつけられることが一般的だが、声の高さに相違して、これは主な要因ではあるまい。むしろ韓国の政治的な状況、1000万都市ソウルの北20数キロまで北朝鮮が迫っていることや20代はじめの青春を謳歌すべき若者が兵役を義務づけられていることなどが、日本の感覚とあまりに乖離しており、個と個の関係において互いを理解しえなかったことこそが、この感情の大きな理由であろう。相手への関心によって道は開ける、それは個においても国においても普遍の定理である。
 そして今、韓流ブ−ムが日本を席巻している。冬のソナタ美しき日々に続き4月からはオ−ルインがNHK総合で放送される。私としては、宮廷女官チャングムの誓いを見たいのだが。これらの番組がヒットすればするほど、ヨン様の追っかけやロケ地巡りなど、理解できないような現象に流れる危惧はある。しかしまず関心ありき。これが一過性のブ−ムに終るのか、何らかの遺産を残すのか、それは東アジアの今後を大きく左右することになる。

 なお、私は自分自身へのおみやげとして、BoAのCDと司法試験用のミニ六法を買ってきた。日本語の歌詞を思いだしながらBoAの韓国語のメロディ−を楽しむのも、大韓民国憲法を和訳するのも随分と楽しい作業である。いずれここで、比較法によって韓国を紹介したいと思っている。