地震と私たちの文明

yosuke0araki2005-04-03

 地震・雷・火事・親父というけれども、昨年末は地震の恐怖を実感することとなった。2度目となる震度7を記録した新潟中越地震と、30万人もの死者を出したスマトラ沖地震。この両者は、奇しくも10周年にさしかかっている北海道南西沖地震兵庫県南部地震の悲しい思い出を再び呼び起こすこととなった。
 死者を悼み、ボランティアとして復旧のためにできることを探すというのは、人間として価値のあることだ。しかし、より重要なのはこれらの地震が異常事態なのではなく、いつどこで起きても不思議はない自然現象であることを認識することだ。だから、地震の直後だけ大々的に被害の状況を取り上げ、一段落つくとすぐそれを忘れるような社会のあり方には危惧を覚える。地震対策の場合、費用便益分析をすることは困難なのであり、短いスパンでの効果が求められる公共事業などでの対応には、民意の継続的な支持を得られにくいという障害がある。それよりも、教育現場での避難訓練の強化によって、子供たちにとって地震がより身近なものとして理解できるようにするなど、婉曲的ではあっても意識に働きかける対応が有効である。
 新潟では震度7ということが大々的に取り上げられたが、これも歴史を紐解けばそれほど珍しい現象ではない。そもそも1948年の福井地震における被害が甚大であったため、従来の最大値である6を上回る7が設定されたのであるが、その前の十年間には鳥取地震など震度7相当規模の相次いでいた。戦争中のことなので、その詳細は明らかにされていないが、日本付近の地殻が活発に変動していた時期らしい。その前の活動期は江戸末期の安政地震の頃なのであり、その周期は約60年。つまり、これから数年はまた大きな地震が発生する可能性が高い。

 世界には環太平洋造山帯アルプス・ヒマラヤ造山帯という、地殻が変動している二つの地域があり、日本はその前者に属するため地震や火山が多いということは中学校で学習した。神戸のときには、プレートではなく活断層地震の原因になったけれども、活断層自体もプレートの運動により無理な圧力がかかるために発生するのであり、造山帯に集中している。そもそも3億年前にはパンゲアという超大陸とパンサラッサだけであったものが、ローレシア・ゴントワナ両大陸と内海テーチス海に分割され、さらに現在のような数個の大陸と数個の海洋が形成された。かつてのパンサラッサであった太平洋を縮小する運動が環太平洋造山活動であり、南北の大陸が衝突することによってテーチス海を消滅させて山脈として隆起させるのがアルプス・ヒマラヤ造山活動だということに思いを致したとき、この地球の営みを前に人間の無力感は強い。しかし生命は、地球の荒ぶる活動によって大量絶滅を幾度も経験しながら進化を続けてきた。もし2億4000万年前に96%の種が絶滅したときのような超大陸時代が永久に続いていたならば、恐竜絶滅の衝撃ももっと深刻なものになっていたはずであり、哺乳類も生存できなかったであろう。生命の進化について知るとき、私は文明人として勇気づけられる。生命が地球の与える試練の度に大きな犠牲を払いながら一歩ずつ成長してきたように、文明も成長していくことはできないだろうか。10年前にテレビで見た廃墟神戸の風景、これは高度文明がいかに自然の前に脆弱かということを示したのではなく、文明が自然との距離を取り間違えていることを教えていたのだ。地球の上手く付き合っていける、そういう文明のあり方を模索していかなければならない。