法科大学院

yosuke0araki2005-04-10

 法科大学院ロースクール)が開校してから1年がたった。今のところ、予習を前提とした濃密な授業の過程でリーガルマインドを涵養するという本来の趣旨はある程度まで具体化しているようである。しかし、何といっても法科大学院の試みは始まったばかり。まだ実施されていない新司法試験がどうなるかによって、法科大学院の性質は形成される。それに、今回の改革の成否が本当に明らかになるのは、法務博士が法曹界の主役となってからのことである。
 そもそも論として、私は法科大学院構想には反対であった。法曹というのは、いわば特権階級。そうであるならば、現在の司法試験のように誰にでも門戸が平等に広げられている制度が望ましいからである。法学部4年+法科大学院2年という構想は、6年生の医学部を念頭に置いたものであろうが、莫大な資本投資を必要とする医師と裸一貫で開業できる弁護士の業務は趣を異にする。裕福な医者の息子を比較的簡単な私立の医学部に入学させて病院を継がせるような必要性は、弁護士にはないのだ。本人の能力よりも資金的な余裕の有無によって法科大学院から法曹への道を歩めるかどうかが決まるのであれば時代に逆行しているという他はない。しかし、その反面で最近囁かれるような、新司法試験の合格率を下げることで実力本位の選別を図るという議論にも組することができない。法科大学院には、それなりに優秀な学生が入学してきているのに、その貴重な数年間を拘束した上で不合格者として大量に放り出すというのは、人材資源の活用という点で甚だ非効率であるからだ。もっとも根本的な問題は、法学部の卒業者数と法曹人口の比率が極端に乖離していることにある。
 しかし、その乖離を阻止する唯一の道は、法曹人口の増加だけであろうか。司法試験の合格者数は、私が法学部に入学したH9年頃500人、私が法学部を卒業したH13年頃1000人そして法科大学院では3000人くらいに構想されている。法曹人口を増やして、専門分化によって高度化する法理論に対応しようとしているのだが、知的財産専門も少年事件専門も対米商取引専門も、全て一括りに「弁護士」では、サービスの消費者である一般市民には分かりにくい。私は、弁護士そのものを増やすよりも、むしろ弁護士の職場をいわゆる準法曹という人々に開放していくべきだと考えている。準法曹は日本に独自の制度であり、一般的には司法書士弁理士、税理士、行政書士社会保険労務士を指す。例えば司法書士の場合、不動産登記法商業登記法が大きな割合を占めているものの、そのベースになっているのは民法や商法の思考である。彼らは、少額訴訟や特許訴訟・税務訴訟などにおいて弁護士の補助的な役割を得ている。しかし彼らこそそれぞれの専門分野で特化していくべきであり、専門性だけでは対応できない問題に総合力を持つ弁護士が挑むべきだろう。よく日本の法曹人口の少なさが指摘されるけれども、準法曹を法曹に含めるならばその人口に占める割合はイギリス・フランス・ドイツといったヨーロッパ諸国と同水準だということを指摘しておきたい。もちろん、準法曹そのものも大きな役割を果たすためには抜本的な改革が必要だ。その最たるものは無試験合格組の存在。裁判所や税務署などに勤務すると一定の条件で準法曹の資格が得られる。官公署における職務の中で、士業に必要なスキルを得られるのであれば目くじらを立てるつもりはないのだが、例えば税務署OBの中には特定税目の知識しか持ち合わせていない税理士も多いと聞く。これら準法曹が、法社会の担い手となるためには、まず行政機関が天下り先として見ることを止めなければならない。
 ついでながら、戦前の高等文官試験司法科が司法試験の由来であるという。高等文官試験外交科は外務公務員Ⅰ種試験となり、高等文官試験行政科は国家公務員Ⅰ種試験法律職となった。外務Ⅰ種試験が廃止され、司法試験が抜本改革されているからには、次は国家Ⅰ種試験(行政・法律・経済)の抜本改革を;というのは、国家公務員試験に合格しながら内定をもらえず江差で海を見ている私のボヤキに過ぎないが。