史記の世界

yosuke0araki2005-04-16

 岩波文庫の青色で刊行されていた史記を読み始めたのはまだ小学生の頃だったから、私と史記の付き合いはもう20年近くになる。日本の弥生土器を郷土博物館などで見る度に、その同時代である史記のスケールの大きさに嘆息したものだった。昭和天皇崩御のとき、新元号が内平外成という史記の五帝本紀からの引用であったことに親しみを感じたことも昨日のように記憶している。
 史記の構成は、本紀12巻・表10巻・書8巻・世家30巻・列伝70巻からなる。史記より後、中国の歴史書漢書後漢書三国志と続き、王朝が交替する度に次の王朝が先代の正史を書き残すという慣例ができあがるのであるが、史記ほどに時代や国境を超えて読み込まれている正史は、羅貫中三国志演義と対象がダブる陳寿三国志を除いて他にはない。
 史記の魅力の第一は、その精力的な取材にある。司馬遷のいた武帝の時代は、楚漢の対決から約百年にさしかかる頃であるが、人の移動が今ほど活発ではなかった時代、土地の古老が歴史を語り継いでいたことだろう。司馬氏は決して裕福ではなかったけれども、父の司馬談は若き司馬遷に中国全土を旅させてくれた。実際に見聞きした情報は、既存の書物を整理するよりもはるかに迫力がある。その迫力が、史記の新鮮味を失わせていないのだろう。
 史記の魅力の第二は、その人物評価の公平さにある。象徴的な例が、文学的な評価も高い項羽本紀である。漢は劉邦が創始した国であるから項羽はその敵にあり、しかも項羽は傀儡として義帝を擁し自らは西楚の覇王と号したから、歴代の天子について記すという本紀の条件を形式的には充足していない。しかし一時期ではあったにしろ、項羽の威光が天下に遍く及んだ時間があったことを重視して司馬遷項羽の名を世家や列伝ではなく本紀に連ねた。ここに現在の政治状況や形式的な位に拘泥しない司馬遷歴史観を見ることができる。そういう姿勢を失ったから晋書の評判は悪く、それ以降の史書の信頼性が低くなったのだ。
 ところで漢書以下の正史には、本紀と列伝が受け継がれたものの世家の巻が置かれることはなかった。君主の巻である本紀と臣下の巻である列伝の間に中二階の世家を置くのは君主制統治システムの上で問題があったのだろう。では、なぜ史記には世家があるか。私は司馬遷天地人歴史観の主軸に据えたからだと考えている。つまり列伝が文字通り臣下個人の伝記であるのに対して、本紀は君主の伝記であるというより年代順に事柄が綴られており、その限りにおいて編年体史書と変わりがない。他方で世家には春秋戦国の地方に割拠した諸侯の歴史が綴られている。世家を諸侯ごと地域ごとの史書と見るならば、本紀・世家・列伝の視点はそれぞれ天地人となる。蕭何・曹参・張良・陳平・周勃の五人を世家に入れるのは問題としても、このように見ればその構成には頷かされる。
 史記の魅力の第三は、列伝を彩る人物の個性の鮮やかさだろう。欠点のいっぱいある人間のサンプル集なので、自分の身近の誰かに似ている人物なども多いのではないか。自分に似ている人物にはつい感情移入してしまうものだが、私の場合それは晁錯である。晁錯は呉楚七国の乱の際の御史大夫であり讒言により誅されるがここでは詳しくは述べない。わが身のあり方を省みる、そのためにも史記が有用だということは確かである。