領土半減の経済

yosuke0araki2005-05-02

 世界史を紐解くとき、その国の領有する土地が最大になった時代を必然的にその国の繁栄期として見ている。戦争に敗れ、その領土を他国に奪われたならば、それは最も象徴的な衰退の印だと考えてしまう。
 しかし、個別の例を見るとそれは必ずしも定理になりえないようである。かつて第二次ポエニ戦争によりイベリアなど海外植民地を全て奪われたカルタゴ経済は、むしろそれから上向きになり、50年かかると思われたローマへの賠償金をわずか数年で支払った。また、燕雲16州を除く中国全土を支配していた宋は、女真族により華北を追われたが、華南の地において統一時代を凌ぐ繁栄を享受した。第二次大戦後のドイツと日本も、領土を半減しながら高度経済成長を実現した。
 なぜこのように、領土半減が経済成長に結びつくという現象が発生するのであろうか。まず考えられるのは収穫逓減の法則である。穀物を育てるとき肥料をやれば収穫は増加するが、その増加量は肥料の量を増やせばそれに応じて逓減するというのがこの法則である。大国になれば収穫逓減により統治効率が悪くなるとも考えられる。しかしこの法則では単位面積が前提として存在するのであり、国土は肥料と比較できるものではない。次に考えられるのは、失った領土の経営が重荷になっていたということである。生産力に乏しい土地を維持するために資源の持ち出しを要したということは確かにあったかもしれない。しかしその後、ローマ帝国のイベリアや金朝の華北はいずれも国の経済を支えるような地域に成長した。また、東ドイツは東欧諸国の中で、韓国はアジアNIESの中で成長の旗頭となった。そのことは失った土地が単なる負荷であったわけではないことを示している。
 この疑問に答えるためには逆に、なぜ経済的な繁栄が政治的・軍事的な力と結びつきやすいのか考える必要があると私は思う。そこには力をもって辺境の資源を収奪して都の富の礎としたということはもちろんあるだろう。しかしその最も有力な答えは、大国であれば庶務・管理部門の比率を減らすことができるというところにある。支配領域が縮小されたからといって支配機構をそれに比例して圧縮することができないのは、上杉鷹山以前の米沢藩や台湾国民党政府を見れば明らかだろう。そしてカルタゴ南宋の例に戻るなら、これらにおいては戦争責任を問われて支配階層が一新している。戦争を契機としてシステムを再構築することに成功したというのはドイツ・日本も同様である。
 どんな組織でも口先だけでない改革は難しい。パーキンソンの法則を出すまでもなく組織は自己増殖を続ける存在なのだ。その増殖はときとして管理部門の煩瑣化や役職インフレによってエネルギーを内側に向けて費消する結果をもたらす。例示した国においては、この自己増殖の後片付けが、小国になったがゆえの効率の悪さに打ち勝ったというのが私の見解である。こういった現象は何も国家レベルに留まるものではない。今、自治体や会社・協同組合などにおいて合併が議論されることが多いが、合併を契機として既存の管理体制の膿を抜くということから目を背けるならば、その合併の効果はさほどのものとはなるまい。合併であろうと分離であろうと、模様替えしただけで身を切らずしては、展望はないということは、どんな組織にも当てはまることなのである。