印象派

yosuke0araki2005-05-08

 印象派という名称はモネの「印象・日の出」という作品に由来する。絵画にとどまらず、クラシック音楽や文学にまで波及して19世紀ヨーロッパ(特にフランス)において一世を風靡したという。
 複数のジャンルを一括りにするのは私のよくやることだが、印象派についてはそれが鑑賞者を混乱させる要因になっている。顕著なのは絵画と文学における印象主義の位置付けの相違である。浪漫主義から自然主義への大きな流れの中で、印象主義絵画は自然主義に反発するものとして登場したのに対し、印象主義文学は自然主義の一亜流として位置付けられている。ここには、写真技術の進歩などによって絵画における自然主義は一定の目的を達していたけれども、ソシュール以前の文学・言語学シニフィアンシニフィエの乖離に未だ明確な説明をつけることができなかったという事情がある。しかし唯ドビッシーしか著名な作曲家を輩出しなかった音楽や、一亜流に過ぎない文学の世界と並べることによって、絵画の世界における印象派の意義を見失うことになるならば残念でならない。
 印象派に最も大きな影響を与えたのは、単なる陶磁器の包装紙として海を渡った日本の浮世絵であるという。浮世絵はいわばアニメーション。長年にわたる蓄積により緻密で正確な描写の技術を築きあげてきた人たちにとって、浮世絵の印象は強かった。緻密でも正確でもないタッチが不思議なほどに実感を伝えていたのだ。そういうことがあるのか訝しがる向きには、交番に貼ってある指名手配の似顔絵を想起してほしい。正確にレンズが写し取ったはずの写真よりあの似顔絵の方がより検挙率が高いそうだ。
 特徴を増幅させるというの機械よりも人間の得意な分野である。産業革命と並行して、印象主義絵画が登場したのは歴史の必然かもしれない。印象派後期印象派を経てフォビズム・キュビズム・シュルレアリズムなどへと拡散した。しかし、フォビズムは色の印象を増幅したものであり、キュビズムは形の印象を増幅したものであり、シュルレアリズムは印象の深層を掘り起こそうとするものであるからいずれも印象派の目線の先に過ぎない。そのように考えれば、20世紀全体を通じて絵画は印象派支配下にあったというべきである。
 そして21世紀。絵画・彫刻・建築などはその枠組みを越えて新しい芸術の領域を作ろうと模索している。テレビやインターネットは、音楽や文学それに演劇なども含めて融合を加速させるだろう。そんなとき、少し手を休めて印象主義を振り返ってはどうだろうか。目先の精密さばかりに拘って大局を見失っていた19世紀末だからこそ、印象派は人々に新鮮に写ったのである。ところが今、印象派以来のイメージ増幅を競った結果として、逆に美術全体が一般人の現実的な感覚から乖離してはいないだろうか。インターネットによる芸術どうしの融合・鑑賞者と芸術家の接近は、再転換のチャンスである。マネやモネの絵を眺めながら、現実の世界と鑑賞者の心がどういう点で折り合いをつけることができるか考えたりもするけれど、とりとめがない。