徒歩の旅

yosuke0araki2005-07-16

 2001年7月第一週の土曜日だったと思うけれど、朝の4時頃に目が覚めたことがある。夏至を過ぎたばかりの北海道だから既に明るくて、もう一眠りという気にもなれず、しかし寝惚けていたものだから今日は函館にでも行ってみるかと思った。札幌から函館まではおよそ300キロ。歩ける距離でないことに、石山通りを少しいって考えが及んだ。しかし、その日は特に用事もなかったので、とりあえず行けるところまでと思い直し、福住まで歩いて地下鉄で帰ってきた。
 週明けの授業中は国道の様子などが何となく気になって、次の週はその続きを歩いてみた。地下鉄で福住まで行って北広島まで歩いてJRで帰ってくる。その次の週は、JRで北広島まで行って千歳まで歩いてJRで帰ってくる。その繰り返しで2002年3月には長万部まで到達した。
 こういうセ−ブとロ−ドで徒歩の旅をする場合、拠点から遠くなればなるほど、公共交通機関を利用している時間が長くなり、現実に歩ける時間が短くなる。札幌から長万部までで私の兵站線は限界に達したのだけれど一年後、道南の檜山支庁勤務を命じられて旅を再開した。函館への到着は2003年6月のことである。
 それから既に2年が過ぎた。最近になって私は旅を再開し、今は江差にいる。大野・鶉経由の往路は、あまりにもすれ違う知人の車が多く奇を衒ったようだったので、復路は木古内経由で函館へ向かうつもりだ。年度末には長万部まで戻りたいと考えている。

 数ある私の趣味の中でこの徒歩の旅ほど、共感を得られないものはない。観光するわけでもなく、ただ歩くだけだと単調な印象があるのだろう。しかし、この旅には天気やJRの時刻などをその場その場で見極めてコンビニなどで休息する判断力と最長30キロに及んで温存できる体力が必要である。そして、その先にはただ車で通り過ぎるだけでは決して見つけることができないそれぞれの街の表情がある。ポツリ立っている看板から、その土地の由緒を知ったりもする。
 そして、徒歩の旅は自らのものの考え方を整理する機会でもある。行きの車内では、読んだ本から受け取ったものを、歩きながら消化していく。足裏からの刺激が脳を活性化させてくれるし、思いついたことを誰もいない地平で声に出してみるのも一興だ。帰りの車内では、自分の感覚を確認しながら先を読み進めて、いつしか心地よい眠りにつく。
 旅の後に札幌と函館をJRやバスで行き来すると、凝縮した思いでの風景が車窓に次々と展開し、そこを歩いた当時の自分までも省みられて、決して飽きることのない3時間となる。