銀河鉄道をロシアへ

yosuke0araki2005-09-10

 1年半ほど前、私はこの稿で3方面における整備新幹線の長短について論じた。札幌と首都圏を結ぶ東北・北海道新幹線、各県庁所在地を結ぶ北陸新幹線、そしてアジアから世界への架け橋となる九州新幹線という類型化をした。今、私はこの稿での構想を訂正したい。北陸で生まれ育ち北海道で勤務する私だからこそ、公平性を意図するあまり逆に九州に肩入れしすぎたという面がある。私は北陸・北海道と関わりが深いロシアという大きな存在を忘れていた。
 北陸からはウラジオストクに海と空の両便がある。ウラジオは言うまでもなくモスクワへと続くシベリア鉄道の終点であり、中国東北部にも近い位置にある。また、北海道からはサハリンに海と空の両便がある。サハリンからの鉄道フェリーはバム鉄道と結ばれており、これはイルクーツクシベリア鉄道と合流している。いわばこれらの地域は欧州へ開かれた窓であり、世界を考えるとき、ここでの鉄道とフェリーの連結の魅力は捨てがたい。
 ところで先週、私は樺太へ行ってきた。豊原に3泊して、バスで大泊往復そして落合・栄浜往復してきたが、真岡へ寄ることはできなかった。なぜ栄浜のような寒村を訪れたのかというと、そこがかつて樺太庁鉄道の終着駅だったからである。大正時代にここを訪れた宮澤賢治は、その経験を題材に「銀河鉄道の夜」を世に出した。今は廃線となり、その終着駅も面影はない。しかし、ジョバンニやカムパネルラが今にも現れそうな気がして幾度も9月の空を仰いだ。そして琥珀が採れるという浜辺を歩いていてロシア語で道を訊ねた老漁師は日本語で応じてくれた。大戦のとき抑留されて60年を経たのだろうが、詳しいことを訊ねるのは憚られた。観光地ではないものの、そういう幾つかの重い経験がずっしり心に響く旅ではあった。
 しかし感傷に浸っている暇はない。函館からプロペラ機で1時間半の距離であるにも関わらず大きく感じたのは、日本とのあまりに大きな相違である。街ゆく人から感じられる生活水準の低さ、完全にロシア化された風習、凸凹道路に溢れる廃棄物寸前の日本車、これらは全て事前の想像の及ばないところだった。だからこそ、経済的な可能性は大きいのだ。異なるタイプの国だからこそ、長短を活かした交換がなりたち、貿易の利益が得られる。当初は商慣習などに戸惑うことの方が多いかもしれないが、市場としては魅力的である。ロシアとの結びつきを年々強めている韓国に市場を独占される前に、オハなどサハリン北部の油田の存在が世界的な注目を集める前に、対応を急がなければならない。
 ここでも大きな障害となるのは北方領土問題である。サンフランシスコ平和条約がある以上は、二島返還で妥結し、ロシアとの建設的な関係をすすめるべきだというのが私の考え。結びつきを強め、サハリン州の人々が日本の豊かな暮らしを目の当たりにすれば、いずれ住民そのものが日本への帰属を望むという事態も有り得よう。