第134回 芥川賞選評

yosuke0araki2006-01-15

 選考委員の大幅かつ唐突な差し替えが物議を醸した野間文芸新人賞は、青木淳悟「四十日と四十夜のメルヘン」(新潮社)と平田俊子「二人乗り」(講談社)の受賞となった。新潮賞受賞作を受賞後第一作と合わせて単行本化した「四十日・・・」はほぼ満票だったそうである。どうやら昨年は、久々に新潮社の当たり年だったようだ。
 さて芥川賞である。今回の候補作は、伊藤たかみ「ボギ−、愛しているか」(群像12)、絲山秋子沖で待つ」(文学界9)、佐川光晴「銀色の翼」(文学界11)、清水博子「vanity」(新潮10)、西村賢太「どうで死ぬ身の一踊り」(群像9)、松尾スズキクワイエットル−ムにようこそ」(文学界7)の6作となった。平成になってからの受賞作は文学界21、群像9、新潮4、文芸2、すばる1、海燕1となっており、今回の候補作数は、これにおよそ比例している。
 私が第一に推すのは、文学界新人賞受賞作以来たてつづけにノミネ−トされている絲山氏の「沖で待つ」である。同期の連帯感という独特な人間関係を、過不足なく表現しているのには、さすがに上手い。沖で待つという距離のとり方も、太っちゃんの結婚相手の存在も、この人間関係を描写する際の有効な材料となっている。あえて言うならば、パソコンのデ−タを消去する話が、メインディッシュとすれば軽すぎるようだけれど、この味気なさそのものが、彼らの関係を隠喩しているのだとすればこの短編の世界はどこまでも深い。
 関係性の描写を意図した作品としては、他に「vanity」がある。早稲田出30代の女性が休職して、恋人の母である神戸の資産家と同居する話。主人公は価値観や習慣の乖離にとまどいながらも、マダムとは妙なところで気があっているようだった。「花より男子」風の一見、特殊な環境設定のようでありながら、そこにある関係性は嫁姑の域を出ていない。作品のねらうところは興味深いのだけれども、筋書きがあまりに緩慢で、設定の妙味が関係性の描写と連動できていない。
 これらの作品と比較すると、筋書きのテンポのよさが際立つのが、恋人との喧嘩の末に薬物を乱用して救急車で運ばれ、そのまま精神科に強制入院させられてしまったという「クワイエットル−ムにようこそ」である。「オズの魔法使い」を下敷きにした個性的な入院患者達、それを冷静なつもりで見つめつつ、やっぱり少しおかしい主人公の言動は、ときに笑いながらすいすい読めてしまう。タクシ−の窓からメ−ルアドレスを捨てるという終わりも余韻があって好きだ。しかし、すいすい読めてしまうというのは、演劇ならともかくとして、こと純文学では誉め言葉にはなるまい。
 私が第二に推すのは、クワイエットにおける精神病や、vanityにおける早稲田よりも、偏頭痛や京大という大小の素材が活かされている「銀色の翼」である。偏頭痛の病根の形状を銀色の翼というのだそうだが、この殊更に詩的な表現は、病の救いのなさ、やるせなさを際立たせていてよい。文章量に比して、時間的にも空間的にも人間関係的にもかなり幅のあるものになったのは、病を鳥瞰しようとの意欲の故だろうが、それでも印象が希薄でないのは、作者の力量によるのだろう。惜しむらくは、偏頭痛を共有する妻がどういう人間なのかはっきりしないこと。作品は、妻と心を通わせるところで締められるけれど、私にとってそれは取り残された感であった。
 回顧的な視点からストーリーを大胆に展開させて心理の深層に光をあてるという「ボギ−、愛しているか」の手法は高い評価を得た前作と同様である。妻との関係が破綻した二人の中年男が、若くして片想いのまま死んでいった旧友にゆかりの島を訪ねるという主軸には、幾重にも人間の関係や心理が織り込まれている。しかし前作でも感じたことだけれども、高密度のストーリーゆえに現実性が希薄化して読者の心に響きにくいということはないだろうか。逆に、心を理屈で裏打ちしようとするために、展開までも作為的に感じられてはしまわないだろうか。そういう食い合わせの悪さが、この作品では鼻につく。
 「どうで死ぬ身の一踊り」は同人誌出身の作者によるが、そのデビュー作におけるようなインパクトが感じられない。女運にも金運にも見放された愚かな自分を、自虐的に語るその独特の文章は賛否両論あれども、モブ・ノリオがそうであったように大きな話題となった。しかし、この作品では作者に連動して主人公の境遇まで引き上げられてしまったことで、底辺にくすぶる原動力が相対的に低下してしまったようである。大正期の作家に傾倒するという素材も、どうも一般的な感覚からはつかみにくい。どうせオタクで勝負するなら、鉄ちゃんの方がむしろましだったようにも思えるのだが。

 ということで、今回は◎絲山;○佐川。定期購読している文学界に、価値観が流されている気もしないではないけれど、反省は火曜日の発表後にしよう。