夕張の財政再建

yosuke0araki2006-06-25

 空知支庁管内の夕張市が6月20日、財政再建団体指定の申請を表明した。直近の指定は平成4年の福岡県赤池町であり、再建は平成13年にようやく完了した。しかし、赤池町の負債額は標準財政規模の一年半分であったのに対して、夕張市のそれは約十年とされる。しかも、北海道庁の市町村課による調査の過程で、ヤミ起債の実態などが明らかにされつつあり、財政の実態はさらに深刻であるかもしれない。
 しかも福岡県庁と国の全面的な支援を赤池町が受けたのに対し、自らも赤字決算を強いられながら財政再建に四苦八苦の北海道庁や、構造改革の中で地方交付税交付金の削減に躍起な国による支援を夕張市は見込めない。そして、もっとも深刻な事態は、破綻が他の自治体にも波及すること。北海道庁はすぐウエッブ上に市町村財政比較分析表を公開したが、それによると旧産炭地の空知地方を始めとして多くの自治体が厳しい状況にあり夕張市が氷山の一角のように思える。負の連鎖を断ち切ろうとするならば、掛け声の大きさに相違して、道庁と国は先に手を挙げた夕張市だけを優遇するわけにいかなくなる。
 そういう諸々の状況に鑑みれば、夕張市民の皆さんには心から同情する。昭和39年までは10万以上あった人口は、わずか四十数年の間に10分の1にまで激減している。廃鉱になった後も夕張に残った人の多くが老齢や健康などの不安を抱えるであろうと推量するにつけ、この残留組にだけ負担を強いるというのは心苦しい。しかし、他方で歴代市長など市役所の責任は非常に重いと思う。
 私が指摘したいのは、道庁や銀行との間で早くも始まっている財政における監視責任の押し付け合いといった次元の話ではない。よりよい地域づくりをすれば、財政は必然的に好転するのであり、夕張市がこのような事態に陥ったのは、市役所の持つ地域の将来像が現実とはかけ離れていたということなのだ。市長はマスコミの批判的な質問に対して「座して死を待つべきだったのか」と反論するけれども、それは不適当である。座することなく歩むべきではあったけれど、歩む方向が間違ったいたのだ。市の道先案内人が道を間違えたなら、その政治責任は甘受しなければならない。
 「北海道が優位性のある農業と観光に重点を置いた地域づくりを」;私が嫌いなステレオタイプだということは、これまでも繰り返し述べてきた。日本という枠を外して俯瞰したとき、農業と観光に優位性がないのは明らかであり、むしろ新千歳空港を拠点とした製造業にこそ成長の可能性があると思うからだ。夕張メロンというブランド農産物と夕張国際映画祭などを主とする観光施策に依存した夕張市政は、そういうステレオタイプから見れば優等生であったろうが、旧産炭地の補助金で新千歳と協働できるような体制を構築できればどんなによかったことか。例えば、科学技術を支える基礎研究のための施設群とか、海外で鉱物資源の開発をしようとする人材の教育施設とか、そういうもので市の潜在的な価値を高めていくこともできたのではないのか。
 もちろん、こういう言い方は結果論になってしまうし、仮に私の主張通りにしてもうまくいった保証はどこにもない。しかしながら、ことは夕張にとどまらず、多くの自治体が同じ危険を孕んでいるのであるから、夕張を他山の石として自らの街の目指す方向性が正しいのかを、今一度見つめなおす必要がある。