第135回 芥川賞選評

yosuke0araki2006-07-08

 私は、趣味は何ですかと訊かれて、小説を読むことだと答えるのには躊躇いがある。何故ならば、必ずといって良いほど次は、好きな作家は誰ですかと訊かれることになるからだ。こう訊かれても、石原慎太郎村上龍田中康夫のように、実力を認めつつも嫌いな作家の名前は頭に過ぎっても、自分の一押しの作家などというのは出てこない。苦し紛れに紫式部だとか司馬遷だとかを挙げるのがオチである。大衆文学と純文学の相違は、古くて新しい論題だけれども、視界の標準を社会に合わせるか人間に合わせるかということだと私は思う。広い社会の領域では棲み分けが可能であり、自分の好きな作家の世界に落ち着くことも可能だけれども、深い人間の領域ではそういうわけにいくまい。純文学に心の居場所を求める限り、ヒトとは、心とは、常に問いかけながら青い鳥を探し続ける旅は永遠に続けなければいけないし、自分ではありえない他者の作品に共鳴はしても、没頭することはできないはずだ。
 さて今回の芥川賞候補は、伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」(文學界6)、鹿島田真希「ナンバーワン・コンストラクション」(新潮1)、島本理生「大きな熊が来る前に、おやすみ。」(新潮1)、中原昌也「点滅……」(新潮2)、本谷有希子「生きてるだけで、愛。」(新潮6)の5作品だった。
 候補作が発表された時点で、私が作家として最も興味を持っていたのは鹿島田真希である。彼女の昨年の三島賞受賞作「6000度の愛」は「となり町戦争」が候補作となったことの話題性に埋没してしまったが、心の構造に真正面から向き合った力作だったから「ナンバーワン・コンストラクション」にも大きな期待を持っていた。温厚なS教授と嗜虐的なN講師が(アルファベットも磁石を意識した意図的なものだろう)、互いに似たものを感じながら婚約者と教え子を交換するという話に、ジギルとハイドのような人格の有する二面性を感じることができるし、N講師が本当に殺したいのが学生Mでも婚約者でもなく自分自身だという心の迫力も伝わってくる。さすがというべきだが、作品の欠陥もまた鼻についてしまった。つまり、SとNの共通点が何なのか読者には提示されていないし、Nの心の闇がどこから来たものかも不明である。これらは作品の本質に直結しており、画龍点睛を欠いている気がしてならない。ついでに瑣末なことだが、Sが別の女性のネームプレートを見るという終わり方は好きだ。
 中原昌也も、かつて「あらゆる場所に花束が……」で三島賞を受賞している。この作品を絶賛した島田雅彦との批判の応酬など、言動が話題になることの多い人だが、私にはその魅力は理解できない。確かに短編のキレはある。アサヒスーパードライばかりが売れるような時代が求めた作家だと言えなくもない。この「点滅……」にしても、戻ってきたショーの会場でデザインの機械が点滅しており、修理しようとすると機械自体が激しい閃光を放ち、そして見事な火柱が立ったという終わり方は素晴らしい。しかし作者がこの作品から何を言いたかったのかを考えるとき、その私にその答えは出せない。
 それ以外の三作については、それぞれ夢の喪失・鬱・家庭内暴力という、昔から繰り返して取り上げられる題材になっている。鹿島田作品と比較すると斬新さに欠けているようではあるが、いずれも綿密に構成されている。
 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」が、二十代後半の喪失感を過不足なく描写している。多くの人にとって二十代後半というのは、努力すればどんな夢でも叶うと信じた少年までとも、社会的に何らかの役割を見出していくことができるようになる壮年以降とも異なる狭間の時代である。不安や焦燥の中で、夢を追い続ける人、さっさと諦める人など個人差が大きくでる時期でもある。そういう二十代に捨てたものの意味、そしてより重要なのは、捨てる際の心の意味を少し突き放しながら描写するというのは、オンタイムの自分にはとてもできまい。妻との最後のデートにも、捨てることの重さがひしひしと感じられる。
 本谷有希子「生きてるだけで、愛。」は、その作者の経歴や作風などから松尾スズキの2番煎じと見られかねないけれども、テーマに対する真摯な姿勢は際立っているように感じられる。死にたいかも、大丈夫たよ に象徴される鬱の主人公と交際相手の関係は、後半の善良にして頭の悪いバイト先の人たちの存在により、立体的なものになっている。もし仮に、バイト先の人たちに心底から好感を持つことができなかったならば、主人公の出した結論にも納得できなかった。交際相手とバイト先の対照が作品を引き立てている。かつて鬱だった母の存在は余計だった気もするが、読了感を損なうまでのことはない。
 島本理生は、23歳ながら3回目の候補作である。前回候補となったときの受賞者の金原ひとみ綿矢りさと比較すると、はるかに多作である。しかし、少女漫画ちっくな恋愛感が依然として変わらない。彼女の心情描写のきめ細かさはぴか一だし、どれを読んでも珠玉だからこそ、かえって型から脱する危険を冒せないのだろう。「大きな熊が来る前に、おやすみ。」にしても、暴力を振るう父に育てられた主人公が、交際相手に暴力を振るわれ、そして妊娠してしまうという、あまり真新しいとは思えないような筋書きが組み込まれた他は、今までの作品とあまり変わりはない。中村文則とは、また別の視点で暴力を見つめるのは面白い試みではあったけれど。
 以上、今回の候補作の中で私は、本命・本谷有希子、対抗・伊藤たかみとしたい。選考会は今月の13日である。