インドのトイレ

yosuke0araki2006-09-10

 幾つかの国を旅行したが、一番おもしろかったのはどこかと訊かれると、インドということにしている。それは、日本の常識では考えられないような事態が次々の発生する衝撃が強烈だからである。例えば、欧米ならば英語で意思疎通さえでき、100円=1ドル=1ユーロの感覚で現金を持ち歩けば、旅行中に困ることはほとんどない。日本にいるのと同じようにして(もちろん相応の警戒心は必要だが)駅で切符を買ったり、ホテルやレストランに入ればよい。しかし、インドではそうはいかない。時刻表に載っている汽車が、実際には存在しなかったなどというのは日常茶飯事。アグラでリクシャー(自転車タクシー)に乗ったときなど、駅からタージマハルまで"fifteen"ルピーで合意したのに、運転手は降車時に"fifty"ルピーを請求しやがった。軽く10キロはあったろうから"fifty"でも100円程度ではあり、日本の感覚では激安なんだけれども。
 常識を超えるインドの世界で、誰もが利用しなければならないのがトイレである。インドのトイレは、和式に似た形態なのだけれど紙がない。その代わりに、水を入れるステンレスのボウルが便器の前に置いてある。用を足したならば、右手でボウルの水をお尻にかけながら、左手でお尻を洗っていくのだ。インドでは毎食カレーだけれども、カレーは右の素手で食べるから、トイレで左右の手を間違えるのは厳禁。
 手で大便を拭くなどというのは多くの外国人にとって耐えられないようだ。しかし、私自身について言えば、それほどの抵抗は感じなかった。その理由は第一に、毎日が猛暑のインドではお尻に水をかけるということ自体が、とても気持ちいいことなのである。その冷たさで汗も引くし肛門も引き締まり、便後感がさっぱりする。第二に、毎食カレーなので便が恒常的に液状化しており、ほとんど水をかけただけで流すことができる。だから想像するようなネットリ感が左手に残ることはあまりない。ついでではあるけれど、インフラの整備されていないインドでは下水道が詰まりやすく、その主たる原因として外国人が持ち込むトイレットペーパーの存在が指摘されている。つまり、インドのトイレは日本では非合理的だけれども、暑く貧しくカレーを食するインドにおいては合理的なのである。そういう国ごとの事情を無視して、手でお尻を洗うという一つの事象のみを取り上げようとすれば、事情の異なる人と仲良くすることはできないだろう。次々に発生する事態の奇妙さに唖然としながら、その背景にあるこの国の人間や社会を見つめる。そういう単純作業の繰り返しを楽しむことができたからこそ、インド旅行は、他の世界のどの国にもまして印象に残ったのだと思う。
 もちろん、こういうものの考え方は、旅行に限ったことでもない。極論するならば、日本人同士でも違う環境で年月を過ごせば該当するだろうとは思うけれども、同じ言葉を使うということが、無意識のうちに同じ価値観を(捉え方は人それぞれだろうけれど)共有していると言えようから、問題になるのは外国人との関係である。まず、相手の立場に立って、相手の事情を思いやって、国際理解をすすめる。そういう小学生でも言えるような当たり前の結論しか出せない自分を恥じながらも、インド3週間の旅を、今、懐かしく思い出している。