租税と労働のシステム

yosuke0araki2006-09-16

 たまたま支庁の税務課に採用され、たまたま労働委員会で勤務している私が、租税と労働を結びつけてモノを考えるというのは安易すぎるようであるし、人事担当の思う壺かもしれない。しかし、一見接点のないようなこの二つは、社会を見つめる上で非常にいい展望台になっている。
 まず法学的に、この両者は行政の中で特殊な地位を占める。例えば、新司法試験における試験科目は、憲法行政法民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法・倒産法・租税法・経済法・知的財産法・労働法・環境法・国際公法・国際私法なのだけれども、行政の各分野のうち一般的な行政法の枠組みを超えて独自の法分野を形成しているのは、わずかに租税・労働・環境の各分野に過ぎない。
 経済学的にもこの両者は特殊である。中学校の公民の時間など、ほとんどの人は家計と企業と政府の三角形の図を経済学の一番最初に習ったのではないだろうか。三つの部門が相互に影響しあっているという図である。景気回復や財政再建というとき一般的には、家計から企業への資金の流れを拡大し、政府から企業や家計への資金の流れを縮小させることを意味する。しかし、中学校3年生で最初に学習したとおり、資金の流れは双方向なのである。企業から家計への資金の移転である労働や企業や家計から政府への資金の移転である租税の分野での政策なくして、景気回復や財政再建というのは偏った見方なのであって、社会に歪みをもたらすのは当然である。
 では、どうすればよいか。直近一年くらいだけで見るならば、今の日本社会の大問題は、景気回復が大都市圏の大企業の業績に偏り、家計がその恩恵を享受していないということだろう。私は、安易に格差という言葉を持ち出して、自由主義経済を人為的政治的に操作するのは好きではない。しかし、企業は利潤を追求する存在であるから、企業に資金を蓄積させたとしても、それが連鎖反応によって景気を回転させていく力は、家計を参加させた場合よりもはるかに弱いと考えられる。景気回復というより経済成長を持続的なものにさせていくためにも、企業から家計への動脈硬化を治癒する手術が必要である。
 他方で、単に労働者の権利に手厚い法制というのは政策手法としては限界がありすぎる。これだけ非正規雇用が増加していく中で、請負だとか委託だとかさらに労働者に過酷な契約が次々に導入されるのは、労働市場における供給過多に由来するのだから、立法したとしてもビール業界と酒税法のような抜け道作りのイタチゴッコが続くばかりだろうからである。だから再分配こそ、租税の出番だ。家計部門への負担を最小限に、企業部門から資金集めをできる税制を構築する。その資金を、ワーキングプアなど労働市場の歪みに由来する諸問題に投じる。そういう中学校教科書からでも導ける原則に立ち返った社会システムの見直しが喫緊の課題になっている。