師団制度

yosuke0araki2006-10-09

 いよいよ防衛庁の省への昇格が現実的な立法日程にのぼってきている。そればかりか小泉純一郎政権よりさらに右傾化した安倍晋三政権のもとで、集団的自衛権まで論点になりそうな勢いである。しかし私は、急成長する中国の軍事的な脅威に対応するためには外枠よりもむしろ、組織を内面から組み替えなければならないと思う。端的に言えば、まず師団制度を改めなければならない。
 軍事組織の名称の多くは中国の春秋時代にまで遡る。伍・行・卒・旅・師・軍の順に大きな単位となるのである。そして、近代的な意味での師団制度を発明したのはナポレオンである。ナポレオン以前のフランスでは、諸侯が部隊の指揮官であったため、部隊の規模はバラバラで概ね小さかった。また、歩・騎・砲・工・輜重など兵種ごとに分かれていた。それをナポレオンは、大規模かつ総合的な師団の単位に再編成し、個性的で有能の部下を師団長に起用することによって、その軍隊はヨーロッパを席巻した。
 それから200年。時代の変遷は、師団の長所を短所に変えた。戦争が大規模化する中で1〜2万人の師団は相対的に小規模な単位となった。また、軍事技術の進歩は陸海空が一体となった戦略を必要としたので、陸上部隊でしかない師団は戦略単位としては欠陥物になった。
 既に二度の大戦の頃から諸外国では、師団の上に軍団を編成したり、海兵隊のような複合した能力のある組織を作ったりして新時代に対応しようとしているが、日本ではまだそうはなっていない。大戦中には軍・方面軍・総軍という上位組織が設けられたりしたけれども、臨時的な機関であったがゆえに師団の上位組織であるのか参謀本部の出先であるのかはっきりせず、むしろ指揮系統の混乱を招くことも多かった。思うに、同方面にある陸海空の部隊を統合の上、大規模部隊に再編成してこそ、ナポレオンの師団制度創設の原点に帰ることとなる。
 例えば、北部方面総監部の第2師団は旭川に、第5旅団は帯広に、第7師団は千歳に、第11師団は札幌に分散しており、北方有事の際には1個師団での困難な対応を強いられる。地域への密着は警察に任せて岩見沢か滝川にその大分を集中させるべきだろう。さらに現体制では海上自衛隊の司令部は大湊に、航空自衛隊の司令部は三沢にあるため、万一のときには、これらの戦力を円滑に動かすことができない。青森県での後詰は第9師団に任せて、それぞれ小樽と千歳に進めるべきだろう。そうやって札幌周辺に一団を構え、陸海空一体となしてこそ北海道に備えられるのであり、音威子府決戦は時代錯誤である。
 自衛隊の役割が変質する中で、今一度その組織のあり方を見直す必要はある。