第136回 芥川賞選評

yosuke0araki2007-01-12

 いつぞやの文学界新人賞の選評の中で誰かが述べていたのだけれど、現実の世界のマイノリティーは、必ずしも小説の世界でマイノリティーではない。このときの候補作が判で押したように30台未婚女性だったのだけれど、フリーターやニートについての同じことが言えるだろう。いくら私が、労働委員会に勤務してフリーターの問題に関心を持ったとしても、その社会的な地位や自らの個性を既得権のように主張する小説の中の彼らに同情はしない。
 今回の芥川賞の候補作は5つ。そのうち青山七恵「ひとり日和」(文藝秋号)、柴崎友香「その街の今は」(新潮七月号)、田中慎弥「図書準備室」(新潮七月号)が、そういう題材である。他の二つは、佐川光晴「家族の肖像」(文學界十二月号)、星野智幸「植物診断室」(文學界九月号)。率直に言って今回の候補作では、「受賞作なし」というのが妥当な水準だと思うけれど、強いて挙げるならば、本命−星野智幸:対抗−佐川光晴だろうか。しかし、それにしても。星野智幸は、三島由紀夫賞野間文芸新人賞を受賞しており、今回当選すれば笙野頼子に次いで二人目の三冠達成となる。佐川光晴の5回のノミネートは島田雅彦の6回に次ぐ。その彼らにしても、今までの作品と比較すると見劣り感は否めない。
 「植物診断室」は、独身中年男が、離婚して独りで子供を育てている女と知り合い、彼女やその子供との関わりを通して、自分をみつめなおす話。その視点は飄々としており、背景にある植物の薀蓄も厭味ではない。多様な要素を短編につぎ込み、それでいて味が濃すぎないのは作者の力量によるのだろう。ただ、女との関わりを媒介した契約が作為的すぎるためもあるのだろうか、女の人間性に深みがなさすぎる。このことが、何となく小説にぎこちなさを与えているようだ。
 「家族の肖像」は、裕福な家に嫁いできたものの、夫の浮気に悩まされ、やっと夫と娘と家族三人の生活が始まるというときに、精神的な負担から難聴になってしまう話。被害者であるハズの妻の内面にある打算や憤懣などの感情が繊細に描かれている。しかし、こちらも不満は、相手方である夫にある。娘が、主人公よりむしろ理不尽な夫に懐くのは、その陽性によるところが大きいはずなのだが、それを炙りださないために、視点か偏り、さらには難聴に至る過程が見えにくくなってしまっている。
 「図書準備室」は、太宰治のパロディー。戦時中のリンチと二十年近く前の挨拶を、中学校を舞台に並べてみせるのは、おもしろい試みだと思う。ただ、ニートである今が見えてこないために、二つの過去も輪郭を消しているきらいがある。「ひとり日和」は、遠い親戚である荻野吟子(瀬棚の女医と同名だということを作者は知っているのだろうか)という老婆との二人暮らしを描く。二人の間に流れるよく似た時間の感覚は、異性との交際の失敗を通して浮かび上がる。その何となくという雰囲気は結構好きなんだけど、作者がそれをどう消化して、位置づけているのかよく分からなかった。「その街の今は」の売りは、大阪の風景なのだろうが、どうも惹かれない。冗長な会話が続き、酔って知り合った年下の男も全くアクセントになっておらず、文量感だけが残った。
 いずれにしろ、選考委員会は1月16日。釧路に出張中の私も、ケータイからネットにアクセスして結果をチェックしたいものだ。