右肘関節内粉砕骨折

yosuke0araki2007-03-21

 3月5日、退院。3月12日、出勤。そして3月19日にはギブスを外すなど、順調に推移してはいるようだ。しかし、2月8日の骨折以来すでに40日も経過しているにも関わらず、リハビリ通院を強いられ、腕の運動が極度に制限される状況を思えば、一時の事故の代償がいかに重いものであったか痛感させられる。ふらつくまで泥酔するのはやめよう、骨が弱くなるようなジャンクフードはやめよう、小銭を惜しんで夏靴で冬を越すのもやめよう。反省すべきは沢山ある。授業料は払ってあるのだから、今だけの気まぐれにならないようにしたい。
 ところで、今回は私にとって人生で初めての長期入院だった。自分にとって、医療・福祉は縁遠い行政分野だとおもっていたが、寝食を病院でとると今までと違うことを考えられるようになる。
 最も違和感をもった、つまり改革のヒントになりえると思うのは入院患者の多くが、できるだけ長く病院にいたいと思っているということである。市場原理の機能する分野であれば、入院が長引けば治療費がかさむのだから、同じ治療がされるなら入院期間は短い方がいい。しかし、国民健康保険その他の公的制度に加えて民間の損害保険や生命保険があれば、入院期間が長い方が経済的には有利になる。私のように仕事をもっていれば、いつまでも入院していれば気が滅入るけれども、退職後であればそのようなことはなかろう。
 もちろん、患者が保険金めあてに入院しているというつもりはさらさらない。病院が自宅より居心地がよいということこそ本当の理由のようである。老夫婦二人で来客もなく引きこもっていることを考えれば、三交代の看護師が8時間に一度は必ず巡回してくれるのがどんなにいいことか。老朽化した家に住んでいることを考えれば、掃除がいきとどき施設も充実した病室にいるのがどんなにいいことか。さらに、若い私には思いもよらなかったことであるが、もし身体に変調をきたしたとしても看護師が待機しているということが、とても心強いと語っていた人がいた。年をとれば誰でも健康に自信がなくなるのであり、その不安は病院にいることにより、些かでも緩和されるのかもしれない。
 だからといって軽症患者がベットを占有することで、重症患者を受け入れられないなどということがあってはならない。また、医師や看護師の養成には社会的に莫大なコストがかけられており、退院したくない人に提供する医療サービスが医師や看護師の技能を活かしきったものであるとは思えない。私は、医療の専門知識を基礎とした看護でなくとも、身近な不自由を補い、いざとなれば円滑に病院まで搬送できる介護であれば、病院で話をした高齢者の多くのニーズに合致できるものと考えている。介護のニーズに適合するのに看護の技能を用いるのは、鶏を殺すのに牛刀を用いるようだ。
 しかし、介護報酬の引き下げと景気回復により、担い手がいないという厳しい状況に介護の現場は置かれている。不勉強ゆえに介護保険法をどう見直していくかなど具体的な青写真を打ち出せないのは、私自身たいへん残念ではあるが、漠然と老後を支える制度の主役に介護がなりえるのではと思っている。