アイスブレーキング

 私は檜山支庁にいた三年間、ふるる函館やネイパル森で休日を過ごすことが多かった。いずれも青少年研修施設であり、頻繁に小学生を対象とした主催行事を行っていた。こうした行事に、私はボランティアスタッフとして参加していたわけだが、こどもたちには、教えるよりむしろ教わることばかりであった。スタッフには教育大函館校の学生をはじめとしていろいろな立場の人がおり、そういう仲間との交流もとても楽しいものであった。
 さて、こういう行事で必ず取り入れているのが最初の時間のアイスブレーキングである。和訳すると氷解となるが、氷のように固くなっている緊張を打ち砕くという意味である。
 どんな行事であっても、これは非常に重要であった。知らない子と仲良くなるにはこれが通過儀礼的な意味をもつのだろう。スタッフの準備不足でスベッたときや、時間の都合で省略したときは、同じ小学校同士で固まる傾向が強く、後々まで行事が円滑に進まないことが多かった。教育大には、アイスブレーキングに特化して試行錯誤を繰り返している学生もいると聞いたこともあるが、私も考えるに足る題材だと思う。
 社会教育の本では、いろいろな種類のアイスブレーキングが紹介されているが、私が最も重要視するのは会話が必要になるということである。それ以降のコミュニケーションのためにする活動なのだから、当然の原則だと思うんだけど、楽しさだけを追求していくために会話が抜け落ちるということが非常に多い。そして、あくまでも会話を支援するという目的で、体を動かすということが大事な要素となる。もちろん各自が運動するのではなく、他の誰かと共に行動する状況づくりが必要となる。また、相手を選べない仕組みも大切である。これがないと、知らない子はどうしても敬遠されることになり従前の人間関係に支配される部分が大きくなってしまう。
 以上、会話すること、体を動かすこと、相手を選べないことの三点を挙げた。残念ながら、この三点をいずれも充足するアイスブレーキングを私は二つしか知らない。一つ目は、一枚の絵。四種くらいの絵や写真を切り裂いて、破片を一枚づつ子供に持たせる。子供は、自分の破片を記憶した上で、同じ絵の破片を持っている子供を探すが、そのとき相手に自分の絵を見せたり自分で見たりしてはならない。自分の破片の説明だけで、同じ絵ごとのグループをつくることができるというものである。二つ目は、人間知恵の輪。車座になり、隣ではない誰かの左手を右手で握る。この手を離さないままで、ねじれを解消し、隣同士が手をつないでいる状態にするというものである。アイスブレーキングは、参加者の年齢や経験、施設、時間などその場の状況により制限されることが多い。だから少なくとも十個くらいはストックがあった方がいいわけで、もっと様々なものを開発していく必要がある。
 ところで、ゆずのコンサートでは、音楽が始まる前に会場の全員でラジオ体操をするそうだ。これも突飛なようで、アイスブレーキングの論理に沿った合理的な試みだと私は考えている。本当にアイスブレーキングが必要なのは、誰とでも仲良くなれるこどもたちではなく、われわれ大人なのだろう。くそまじめな会議であろうとも、アイスブレーキングの余地がないかと一度でも問いかけてみるということは、何かの企画を成功させるためには、いい手がかりになるのかもしれない。