夕張の財政再建:一年を経て

 夕張市財政再建団体となる意向を表明してからまもなく一年が経とうとしている。相変わらずメディアに取り上げられることは多いが、私は最近、夕張のニュースを見聞きする度に不愉快な気持ちになる。
 まず第一に、営利企業の偽善的な態度である。ネスレは、キットカット夕張メロン味を発売し、その収益の一部を夕張市に寄付するという。少し前には、初物の夕張メロンが2つ200万円で売れたという話もあった。これらは、私企業の安価な広告宣伝費の支出に過ぎないのに、好んで報道するメディアの気もしれなければ、有り難がって乗せられる消費者の気もしれない。
 そして第二に、市長の心得違いである。藤倉肇氏は、そのヨコハマタイヤ時代に発揮された手腕といい、郷土によせる熱意といい、一万人規模の市にとしては申し分のない逸材である。しかし、それは再建団体になる前に当選していたらの話であって、財政再建中の市長の役割は破産管財人に過ぎない。市長には、法令や会計の原則に照らして粛々と事務を遂行することこそが求められているのであり、この期に及んで「再建計画が市長の手足を縛って何もできない」などというのは筋違いである。
 さらに第三、支援されて当然という市民の意識である。このような事態を招いた責任が一義的には市役所にあるということは明らかである。しかし、その行政サービスを今まで十分に享受し、問題意識を持って路線変更をしようとしなかったのだから、市民に責任がないとはいえない。市政が、おかしいとは思っていても、自分が生きているうち何とかなるならいいという気分がなかったとはいえまい。テレビなどで市民がその生活苦を訴える場面は見飽きたけれども、そういう責任感を表明した人はついぞ見なかった。だいたい、本当に自分たちの置かれている状況を理解していれば、300億のうち100億は何とかするという羽柴秀吉氏の心意気を(それが多分に欠陥を孕むものだったとしても)無碍にはできなかったはずである。
 私が、夕張に関わるあれこれを不愉快に感じるのは、他の炭鉱街のことが念頭にあるからである。空知炭田の多くの市町村が、厳しい経済環境の中での自活のための努力をしているのだが、その中で歌志内市上砂川町は、とりわけ困難な状況に置かれている。この両自治体が、もし次に財政再建団体となったとき、果たして営利企業も含めた社会全体が、これほどまでに手厚い支援をするものかと考えると、恵まれた状況の夕張が被害者意識ばかりを持つのがいかにも身勝手だと感じられる。今、夕張夕張と叫ぶ人には、ぜひ上砂川のときにも同じように暖かい手を差し伸べてほしい。生活苦を訴える夕張の人には、ぜひ歌志内のときに、市を挙げた積極的な支援の輪を発信してほしい。そういうことができるのであれば、私こそが心得違いであるから、本稿は喜んで撤回したいのだけれども。