企画と管理

 組織体は、個々の人間が結集して特定の目標に向けて邁進していくものなのであるが、その過程で必然的に組織内部における対立を孕むことになる。内部における対立の調整に消耗して外向性に欠けるのは論外として、この対立がなく全ての意思決定が円満になされればよいというものでもない。そのような八方美人の意思決定は観念的であり、現実性を持ち得ないからである。
 歴史を振り返ればこのような内部対立には幾つかの型が存在する。文官と武官、事務官と技官、ラインとスタッフなどが挙げられよう。しかし、これらは双方とも役割分担がある中で、縄張り争いによって対立構造が生じているだけにすぎない。武官による日本の幕藩体制でも、技官による中国共産党政権でも、分権型ライン統治でも、集権型スタッフ統治でも、やりようによってはいかようにも上手くいく。微妙な均衡状態そのものを維持しなければならないのは、いずれもスタッフ組織である企画部門と管理部門の関係である。
 企画と管理の組織としての性質を十分に活かしきったのは漢の劉邦であろう。企画部門には張良と陳平が、管理部門には蕭何と曹参が配された。劉邦自身、帷幄の中で策を巡らして勝ちを千里の外に決するのは張良、補給を途絶えさせず民を慰撫するのは蕭何と述べているが卓見である。史記世家に列せられているのが功臣では彼らに周勃を加えた僅か5人だけだということからも、劉邦が企画と管理で天下をとったことが見て取れよう。
 いくら重要であっても人員を多く配置すればよいというものではない。船頭多くして船山に登るというけれど、これらの部署では適材が迅速に意思決定をすることこそが必要であるからである。例えば日本陸軍においては、企画に係る権限を参謀本部作戦部作戦課に、管理に係る権限を陸軍省軍務局軍事課に集約した。大佐であり、ラインならせいぜい連隊長相当の作戦課長と軍事課長を陸軍全体の意思決定の両輪とした組織の構造は、これが熟成して円滑に機能すれば合理的なものであったろうと思われる。
 さて、北海道庁である。最近の組織改革により知事政策部が新設され、スタッフ組織は企画振興部(旧総合企画部)及び総務部と合わせて三部体制となった。知事政策部参事は企画系の業務であり、知事室秘書課が管理系の業務であることに鑑みると、どうも両輪で走っている真ん中につっかえ棒をつけてしまったように思われてならない。どうせ新組織なら、企画と管理の枠を飛び越えたものの方が良かったように思われるのだが。