琴似の風景

 琴似を生活の拠点とするようになってから、早一年半も経とうとしている。琴似は、住み始めたときから懐かしく感じられる街だった。たしかに琴似を中核とする札幌市西区は、富山市函館市と同様に人口20〜30万人規模である。しかし札幌の衛星としての役割を持つ琴似と、地方の中心である富山や函館が似ているわけはない。なぜ懐かしさがこみ上げてくるのかは最近まで分からなかった。
 しかし退庁後、早めの帰路につき、夕暮れ時の琴似を散策していたとき、ふと思いついたのは琴似が歴史の街だということだった。五稜郭の陥落によって戊辰戦争終結すると、政府は屯田兵によって北海道の開拓を推進しようとする。明治期には数十もの屯田兵村がつくられたが、その第一号が琴似だった。その戸数は約200戸で陸軍の一個中隊。琴似の南隣が二十四軒地区といい、東隣が八軒地区ということからしても、屯田兵村としての規模が突出していたことが明らかだろう。屯田兵村は、山鼻・新琴似など全道各地に設けられ、兵農分離後は永山武四郎の下で第七師団に集約されるが、その後も、最初の兵村としての琴似の名は重きをなしたという。
 今でも琴似には屯田兵舎や当時の神社がビルの谷間に埋もれるように残っている。そういう琴似を徒然なるままに歩いてみて思うのは、屯田兵制の理念のようなものが必ずしも現代の北海道に馴染まないものではないということである。たしかに北辺防備と原野開拓を併せて任務とする屯田兵は、富国強兵と殖産興業の時代の賜物であり、これをそのまま再現することは陳腐である。しかし、平時における自衛隊がなすことができるのは、国際紛争地域への派遣や災害での支援活動だけではあるまい。営農活動も重要な貢献になりえると思う。
 なぜなら、すでに日本農業が高度の資本投下を必要とするものになっているからである。規模の効果を勘案すれば肥料や農薬の空中散布の方が効率的なのに個々の農家はヘリコプターを買えないでいる。ヘリコプターに空中散布の機能を加え、戦車に耕運機の機能を加えることは、新品の農機具を購入することよりはるかに低コストで済むのだ。さらに、生物を扱い人間の命を支える農業に従事することは、自衛隊員にとって「命」との接触の場であり、戦争になれば命の取り合いをする彼らが絶対に避けて通れない命との関わり方を考える機会を与えることになる。ただモラルを高めるなどと軽口で済ませられる問題ではないのだけれど、そういう風に本来業務以外の業務が、個々の隊員にとってどんな人格的影響を与えるかは、必ず検討しなければならないことだろう。
 自衛隊に営農させるというのは、競争力のない小規模農家はもちろん、プロとしての自負のある大規模専業農家の支持も到底得られまい。しかし、われわれが守らなければならないのが、農業であり食の安全性であり農家そのものではないという原点に立ち返れば、何を優先すべきかは明らかだと思う。
そういうことを考えながら、ついつい琴似イトーヨーカドー1階のマクドナルドに入ってしまう私なのだが。