もはや経済一流ではない

 国会開会時の所信表明演説内閣総理大臣)、外交演説(外務大臣)、財政演説(財務大臣)及び経済演説(経済財政担当大臣)は四演説と称され、その内閣の方向性を示す極めて重い意味を有する(演説後に質問も受けずに辞任した首相もいたが)。大田弘子経済財政担当大臣の「もはや日本は『経済は一流』と呼べない」は、日本が「経済は一流、政治は三流」と揶揄されてきたことを下敷にしているが、多くの人が何となく感じていることを言葉にするという政治の役割を果たしているものであるから私は評価したい。
 もっとも、衝撃的な発言であるだけに、批判があるのも当然である。一人当たり国民総生産の世界順位についてバブル期と現在を比較するなどの方法について、現在の円安を評価していないという指摘があった。円が正当に評価されれば、世界比較の順位など簡単にひっくり返る。そもそも日本の技術力は簡単に外国に抜かれるようなものではないんだ、と。しかし、現状でユーロが過剰評価されている向きは否めないとしても、ヨーロッパ圏には将来を高く買うだけの魅力が実在するのは確かである。政府が十年分の予算に相当する借金を抱え、それでもまだ需要を喚起できないような国の通貨にいったいどんな魅力があるというのか。そういう意味で、現在の為替相場は現在の通貨の実力を冷徹に評価しており、これに基づいて世界順位の低下を指摘した大臣の演説に説得力があるように思われる。
 日本の製造業はまだまだ負けないというのも、主観や感情に基づくものでしかあるまい。かつて、寡をもって衆を制する成功体験を繰り返してきた日本の軍部は、有利な情勢を形成する努力を怠り、日本は負けるはずがないという精神論だけで戦略を見失い、昭和20年の壊滅的な事態を招いた。NHKプロジェクトXに象徴されるような努力の結晶として今日の製造業のレベルの高さがあるのは確かだが、これが世界一だとする固定観念からは、実態に即したビジョンや政策など生まれようもないだろう。

 「ジャパンアズナンバーワン」と言われたのは20年前だが、隔世の感がある。バブル崩壊時に、よくある景気の循環で、そのうち回復するだろうと考えていたのは中学生だった私だけだろうか。回復しかけた頃に米の凶作があり、アジア通貨危機があり、同時多発テロがあり。そうやって外部環境のせいにするだけで、国のあり方を抜本的に変える努力を怠ってここまできたのではないか。方向性に賛否両論あるにしろ、小泉純一郎内閣が構造改革に取り組んだのは事実。しかし、5年も政権の座にあって郵便局ひとつでは、改革の実を達成できたかは疑問である。明治維新にしろ戦後改革にしろ、5年に満たないうちに日本社会は、以前の常識では考えられないくらいに大きく変わった。それが可能であったのは、圧倒的な時代の流れの中で既得権にメスを入れることができたからである。これからの日本にそれができるのか。できなければ、この国に未来はあるまい。