射雕両作

 ひところの韓流ブームに続いて華流ブームが到来するのではと思っていたが、なかなかそうはならない。まあ、小さな韓国ではなく大きな中国の流行を語意とするのだから、華流が韓流ほど明確なアイデンティティをもっていないこともやむをえまい。そういう雑多な魅力を日本人が理解するまでは少々時間を要するということだろう。
 華流を代表するのが、F4と金庸であるという事実は、その雑多性を象徴するものである。F4は、2001年に「花より男子」の台湾版であるテレビドラマ「流星花園」への出演を契機に結成され、メンバーが中軸となりながらヒット作を連発してきた。そのドラマのほとんどが青春モノであり、主たる支持層は若い女性である。他方、1950年代に香港在住の金庸が確立した武侠小説は、中国文学の大きな流れをつくってきた。中国人がごく普通に読むこれらの小説は、F4のドラマと時を同じくして大陸で実写化されていったが、その主たる支持層は中高年男性であった。
 金庸の代表作というべきは「射雕英雄伝」「神雕侠侶」「倚天屠龍記」の射雕三部作だろう。ただ、射雕英雄伝神雕侠侶が時代的に近似しており、その登場人物の多くが共通しているのに対し、倚天屠龍記だけは前二作との関連性が薄い。したがって前二作だけをまとめてひとくくりに射雕両作として、金庸の、そして武侠小説の代表作とみるのが妥当だろう。

 射雕英雄伝は、華南の宋と華北の金の両国が対峙しており、その遥か北で蒙古が勃興する時代に始まる。郭靖と楊康は、父親同士が義兄弟であったが、胎児であったときに家族は離散する。郭靖は蒙古で成吉思汗の娘の許婚として、楊康は金の完顔洪烈の子として育てられるが、完顔洪烈こそが一家離散に追い込んだ彼らの仇であることが判明する。郭靖は、黄蓉と愛し合うようになり、彼女とともに旅する中で東邪、西毒、南帝、北丐それに老頑童と呼ばれる武術の達人と出会い成長していく。一方で楊康は、完顔洪烈と共に生きる道を選び、金が蒙古に制圧される過程で命を落とす。そして蒙古が金に次いで、宋を飲み込もうとしていると知った郭靖が、成吉思汗と決別して終わる。
 神雕侠侶は、楊康と穆念慈の子である楊過が、郭靖によって全真教に預けられることに始まる。楊過は、古墓派の宗主である小龍女の弟子となり、二人は恋に落ちてしまう。しかし師弟の恋が許されないものであると知った小龍女は行方をくらます。追いかける楊過だったが、些細な諍いから郭靖と黄蓉の長女である郭芙によって右腕を切り落とされてしまうのだった。それから18年、郭靖が決死の覚悟で守る襄陽は蒙古に包囲され、次女の郭襄も蒙古の金輪法王によって捕らえられる。絶体絶命の襄陽を救ったのが楊過と小龍女であり、戦勝の凱旋でこの長編は終わる。

 主人公である郭靖と楊過やその恋人達が魅力的なのは当然として、射雕両作はともに脇役が個性派揃いである。東西南北の達人にしろ、ただの仙人ではなく人間の弱さや脆さをいっぱい抱えている人達である。また、宋と金の南北朝時代から元による統一へと(それは漢民族にとっては前向きのものではないが)時代の大きなうねりを感じられるのも大河ドラマの醍醐味である。
 あとは、異国のこのスケールの大きな作品の重さを、私を含めて日本人が理解できるかどうか。射雕両作が「冬のソナタ」並に受け入れられる時代が来るかどうかは未知数である。