小泉時代の終焉

 小泉純一郎元首相が、次の衆議院選挙に出馬しないことを表明した。民主党の結成を機に議員辞職した細川護熙元首相をも思わせるような意外な引退ではあるが、その時期を得たことにはいつもながら舌を巻く。
 郵政選挙の後、麻垣康三と称される候補者を競わせた上で小泉首相安部晋三を後継者に指名した。その翌年は、同じ清和会の福田康夫。そして今回は麻生太郎と、いわば麻垣康三のうち支持率の高かった順に首相になっているようである。しかし、小泉政権の大半を財務大臣として支えた谷垣禎一の総裁候補としての位置づけは微妙なものになりつつあるし、麻生首相は、もはや財政出動による景気回復を重視する小泉改革以前の政策に回帰しているように思える。今回の総裁選が盛り上がらなかったのも、改革の継続を訴える候補者の声が、もはや国民の心に響かなくなったことが根本的な原因だったのだろう。そもそも、小泉首相の後継となった安部首相と福田首相が、首相候補として頭角を現したのは小泉内閣一代でのことだった。強烈なトップへのマスコミの批判的な質問をのらりくらりとかわす福田官房副長官と、北朝鮮への強硬姿勢などで国民の溜飲を下げた安部官房副長官。彼らがその個性を発揮したのは強いリーダーの存在があったゆえであったのに、閣僚や党役員としての碌な政治経験もなしに単身で総理総裁の椅子に座らされたのだから、荷が重すぎたのだといえなくもない。
 小泉首相の郵政改革は、六大改革などと大上段に振りかぶって在任中に変化の実感を国民に伝えることができなかった橋本龍太郎首相と比較しても、はるかにメッセージ性に富んだものだった。しかし、財政再建を主張していた橋本首相が、10年前の参議院での敗北を機に辞任して以降は自らも財政出動にシフトし、その後の小渕内閣赤字国債景気対策のバラマキに終始した悪夢がよぎる。改革に疲れた国民の関心も目先の現金に移っているのだろうが、既に国債発行残高は700兆円で、年利だけでも税収の2割を超える。今後、今よりも国債発行残高が少なくなることもなければ、小泉内閣ほど長期にわたり改革嗜好の内閣が政権を維持することもなかろう。してみれば小泉内閣の5年間が、世界的な景気の拡大もあり、日本が構造改革によって財政再建できる最後のチャンスであった。与野党が景気と生活を合言葉に競い合う現況は、はるか彼方にようやく見えた岸に再び背を向ける船上のようで名残惜しい。
 では、これからどうなるか。これまで国債には、国の借金としての性質だけではなく、貯蓄嗜好の高い国民の資産としての側面があった。いつになるかは分からないが、国民がこれ以上の国債を買うことができなくなったとき、日本銀行国債を買い上げることによりインフレを発生させ、日本円の価値は下落することになる。ハイパーインフレと言うとマイナスの響きしかないけれども、何度も改革を叫んで、その度に痛みに耐えられず(私は現況について小泉首相の言葉とは裏腹に国民が痛みに耐え切れなかったものと認識している)借金を増やすよりは、一度の強烈なインフレで膿を取り除くほうが長期的には日本にとって望ましいのかもしれない。今さらいうまでもなく明治維新も戦後改革もハイパーインフレを伴った構造改革だったのだし。

 小泉元首相が議員を続けようが続けまいが、もう小泉改革の時代に戻ることはあるまい。しかし、小泉改革の光と影が、今後の日本の歩むべき方向性に一定の影響を与えているのは確かだろう。これから、この国はどのような運命を辿ることになるのだろうか。それによって事後的にしか小泉政権の歴史的意義を評価することはできまい。