更新拒否の嵐の中で

 昨秋の経済危機の頃から新規学卒者の内定取消と契約社員雇用契約更新拒否が大きな問題となっている。
 内定取消が社会経験に乏しい学生にとって大きな衝撃であるのは理解できるが、第一志望の会社の囲い込みにあって他社を回れなかったあげくに内々定をもらえなかった私としては、自分自身に引き比べてとりわけ特異なことであるとは思われない。そもそも、縁のなかった会社なのだから、入る前に関係を清算できた方がよかったのだ。新規学卒者を取り巻く環境は年によって大いに異なっており、もっと違う年に生んでほしかったと親を恨んでも仕方がない。その運命的な設定を、社会の中で修正していくことこそが20代30代に必要なのことである。
 しかし、雇用契約更新拒否は由々しき事態である。契約社員はそもそも使い捨てられる存在である(本人がその条件に納得して契約社員となった)という先入観のもとで必要悪、あるいは仕方のないこととして受け取られる雇用契約更新拒否の問題の方がより深刻である。それに、正確なことが分からないまま推定人数が月を追うごとに積み上がっており、その数は内定取消の比ではない。2009年問題などと言うが、雇用関係のタイムラグは法制度以上に大きく、とりわけ雇用契約書を取り交わすことも少ない中小企業の実態からすると、事実上の更新拒否により職を去らなければならない人の総計は、最終的に連合の試算をも上回るのではなかろうか。

 私は、4月1日付けで農政部農業支援課に異動するが、労働委員会では契約更新拒否や退職勧奨により離職する多くの労働者をみてきた。そこでは、労働者にとって辞め方が非常に大きな意味を持つことを毎度のように考えさせられた。
 多くの労働者が関心を示すのはハローワークの離職者票の取り扱いである。会社都合による退職であれば自己都合よりも失業保険の受給に有利であることから解雇の取り扱いにしてほしいと訴える方が多いのだ。契約期間満了であっても契約更新を期待できる特別な事情がある場合、あるいは退職願を提出していても会社側の働きかけに強制の色彩が強い場合には解雇とみなされるのだから、あながち無理な要求でもない。
 しかし他方で、退職前の時期に解雇撤回を求める労働者はほとんど皆無といってよい。「関係が悪くなって今さら職場には戻れない」「仕事をしながら会社に文句を言うのは気まずいから退職してから」などと言う。しかし、会社にとっても気まずい時期だからこそ、話し合いで折り合いをつける余地もあるというべきである。そもそも労働者が解雇を希望するというのは制度の趣旨を完全に没却している。労働契約法の立法議論の中で労働組合側が解決金の支払いによる解雇を条文化することに難色を示したのは、カネを払えば濫用に当たる解雇もできるようになることを恐れたからであり、カネも払わずに(解雇予告手当だけで)解雇してもよいという理屈ではないのだ。実質的には解雇に相当する契約更新拒否等を撤回させた上で、退職の有利な条件を引き出すことが労働者にとって合理的であるばかりでなく、法の趣旨に即したものでもある。

 率直なところ、労使紛争における労使間の力関係は、マルクス主義的な資本の有無や職場での指揮系統などだけに由来するものとは言い切れない。労働者が法制度を知らないということにこそ根源があるように思える。経済失速のツケを労使双方が押し付け合おうとするであろうこれから数年間、労働法を使いこなすことが労働者側には求められる。