世界一周

 旅好きの人間にとって極めつけの旅はやはり世界一周ではないだろうか。もっとも、青年期には充分なカネがなく、壮年期には充分な時間がなく、老年期には充分な体力がないから単なる憧れに終わってしまう人が多い。人生に一度だけでもいいからやってみたいと思える旅である。
 世界一周というとスターアライアンススカイチームワンワールドの三大航空連合などが格安航空券を設定しているが、これは私の夢見る世界一周ではない。航空機内は外界とは隔絶した世界であり、航空機の出発地と到着地の間はワープにも似た感覚ゆえに線で結ぶことができない。果てしない大地や大海原を突き進んだ果てにもといた地点に戻ってくることでこそ地球が丸いことの実感が得られるのだから、何時の日か世界一周の機会があれば、一区間も航空機を利用したくないと思っている。
 空路の旅が嫌ならば陸路と海路があるのだが、大陸は海洋によって分断されているから陸路のみによる世界一周はできない。豪華客船による世界一周クルーズは幾つかの旅行会社が設定しているが、当然、海に人は住んでいないから、寄港地を点で結ぶ旅になりかねない。そこで目下のところ太平洋と大西洋の横断については世界一周クルーズの区間クルーズを利用するしか手がないのだけれど、年に数便で高価なクルーズだけでは、旅程の選択の幅は極めて限定される。旅客が低迷しているにも関わらず、長距離貨物は今でも海上運送が主役だ。商船三井日本郵船川崎汽船などのコンテナ船に乗り込んで大洋を横断する策を考えてはいるものの、なかなか上手くはいかない。
 そして陸路。世界最長の鉄道路線といえばモスクワからウラジオストクまでのシベリア鉄道だが、富山から船で大陸に渡りシベリア鉄道でモスクワに入りそこからトーマスクック時刻表の赤版だけ使ってヨーロッパ旅行というのでは芸がない。確かにシベリア鉄道にはロシアでホームステーをしているような一種独特の魅力的な雰囲気はあるものの、古来より数多の民族が生きてきたユーラシア大陸を駆け抜ける際の文化的な要素がロシアだけではあまりに寂しいと思うからだ。
 私も昔は時刻表を見ながらどこまでも続く鉄道の旅をしてみたいと思っていたが、ホーチミン市からバスでカンボジアを横断してバンコクに入った旅(2007年)のあたりから考えが変わった。現地の人と触れ合いながら目線を低くしてそれぞれの土地を楽しむという点で電車はバスにはるかに及ばないからだ。たしかにバスの旅には体力的な負担が伴う。しかし、寝台車などの鉄道で距離を伸ばしつつ、ある時は路線バスで観光コースから外れてみるということも、旅の印象をガラリと変える強いスパイスになりうる。そういった意味で例えば今、私が興味を持っているのはカシュガル。中国領シルクロードの最西端にあるこの街までは鉄道で行くとして、そこから先、キルギス行きの国際バスに乗るのか、パキスタン行きの国際バスに乗るのか、はたまた南疆へ向かうのか。たったそれだけの現地での思いつきの選択によって旅のカラーは大きく変わっていく。
 陸路と海路で世界一周をしてみようと考えるのは素晴らしいことだが、それは単なる枠組みに過ぎない。実際に日本を飛び出してみたとき、想像もしなかったような多様な可能性が目の前に広がる。それをオンタイムで選択しながら絵を描いていくのが世界一周だと思う。