沈まぬ太陽

 ここでは、労働委員会に在籍していた頃から教材としていた作品であり、咋秋に待望の映画化が実現した山崎豊子の大作「沈まぬ太陽」のことを論じるのではない。恒例となった年末年始の旅行、今回はマグリブ(日の没する国)の西端モロッコからかつて日の沈まぬ帝国と謳われたスペインまでの旅程をとったからだ。9連休を全て旅行に投入したとはいえ、往路1日と時差の関係上で復路2日を費やすから実質的に6日しかない。?カサブランカに上陸してマラケッシュ、?ラバトを経由してフェズ、?メクネスを経由してタンジェ、?フェリーでアルへシラスへそしてバスでセビリヤへ、?セビリヤから新幹線でマドリッドへ、?マドリッドから日帰りでトレドとセゴビアへ。ポルトガルへ行けなかったことやプラド美術館など休館日にぶつかったことは残念であるものの、まあ濃密な旅を実現できたようには思う。

 その旅程において美しく印象に残っているのが、初日、マラケッシュへ西走する車窓の夕日だ。大西洋沿岸の穀倉地帯は、いつしか荒涼としたサハラの大地に変わり、その果てしなく広がる岩場に悠然と太陽が沈むその刹那、その乾いた時間の感覚はとても長く感じられた。他方で、最後に見たのは、牛が草を食むセゴビア新駅の前で霙交じりの雨雲の中にボンヤリと消えていった夕日だったろうか。そのときも濡れて寒さに震える体で、アフリカの夕日を想起したものだった。
 地図上の距離以上に気候に大きな違いのあるマラケッシュとマドリッド。しかし、人間の歴史をみればさらに複雑である。スペインは他の西欧諸国と異なりイスラム支配下に入った時期があるが、コロンブスアメリカに到達した1492年にそのくびきを脱した。他方でモロッコはフランスの植民地とされ、その文化的な影響を大きく受けた。そのことを思えば、イスラム寺院キリスト教会への改築の技法などもおもしろいのであるが、モロッコの郷土料理であるタジンにフランスパンを浸す習慣や、マドリッド地下鉄の乗客のアラブの血が混じった顔立ちに、より興味がそそられる。そういうイスラム教世界とキリスト教世界の文化が混然となっている中にこそ、今回の旅の魅力があった。
 とはいえ、人間のつくる国境だけは、混然とということでは済まない。そのことを実感したのがタンジェ港でのトラブルだった。フェリーのチケット購入も両替も済ませていたにも関わらずモロッコの警察に出国を拒否されたのである。カサブランカから空路で入国した者は空路で出国しなければならないというのが彼らの主張なのだが、そんな規則はどこにもない。ろくに取り合ってももらえなかったが、日本大使館を通じて上部機関に電話したところ警官の態度が豹変してフェリーに乗船することができた。もちろん、彼らがアラビア語の他にフランス語やスペイン語しかできず、私の英語が通じなかったということはあるだろう。しかし、このトラブルのそもそもの原因はヨーロッパとアフリカの絶対的な経済格差にある。タンジェからは富を求めて(中には麻薬などの禁制品を持って)密航する者が後を絶たない。だから見慣れない国のパスポートを見た警官は役人の事なかれ主義で私の出国ビザに判を押さなかったのである。そういう意味では、警官の不実を責めるよりも、狭い海峡を隔てる大きな距離を感じさせられた出来事ではあった。

 それにしても、13度目の海外旅行にしてようやくのイスラム圏である。覗き見た淵は、とてもとても深く感じられた。