ネット右翼

 ネットが便利な世の中になり、私も新聞を購読せずYahoo!ニュースで済ませる毎日なのだが、ネットの双方向性というのだろうか、ニュースには読者がコメントを載せることができる。政治記事に寄せられるこのコメント、右翼の集まりかと思われるような過激なものがほとんどである。
 政権交代前には、私もさほどの違和感も覚えなかった。右の読売産経と左の朝日毎日という軸があるのは当然のことであるが、その政府のあり方に問題提起するというのはマスコミの特性であるから、政府の欠点をあげつらう記事が多くなるのは致し方ない。そのような中で、政府与党の批判も結構だが、野党にも問題が多いんだというネットコメントの論調は、それ自体というよりも世論形成の一翼としては一定の意義があった。しかし政権交代後、反民主党の方向性において、マスコミとコメンターは重なってしまった。そうすると是非はともあれ論理的に執筆するマスコミと、感情的なコメントとのレベルの差が際立ってくる。ニュースサイトの政治記事のほとんどが極端な国粋主義を前面に押し出した罵詈雑言の羅列ばかりで読むに値しない。政治欄のコメンターを「ネット右翼」と表現するのは言い得て妙である。
 ひとつ断っておくと、私は革新政党の支持者ではない。私がネット右翼を嫌悪するのは、彼らが他でもなく、彼らの最も嫌いな中国反日学生達とそっくりだからである。中国では21世紀になってもときおり若年層を中心とした反日運動が盛り上がるが、彼らは「愛国無罪」の免罪符以外に理論武装をしてはいない。共産党統治下において反体制を叫ぶ心意気もなく体制を改革していく甲斐性もなく、街で反日プラカードを掲げ、人が集まり匿名性が確保されたなら民家や商店で暴力的な言動を働いているのだ。数年前に趙一曼の銅像にセクハラをしてネットで公開していた学生がいたが、浮ついた彼らが、命をかけて国を守ろうとした先人達と同じ「反日」という言葉を使うことには、日本人としてではなく歴史を学ぶ者として嫌悪感を覚える。
 そしてネット右翼。現実の世界は別として、ネットの世界では彼らは強者になる。仮想の世界での強者だからこそ弱肉強食を是とし、匿名ゆえにこそ過激な言動を繰り返す。ネットの世界では「炎上」というようだが、大量の批判的な書き込みが呼び水になって、同じような書き込みで埋め尽くされることがある。ここでの書き込みには、問題提起をするとか、新たな論点や情報を提示するとかの建設的な態度は全くない。ただ仮想の勧善懲悪の中に、現実世界への不満をぶちまけているに過ぎない。
 弱いものいじめでしかないネット右翼。しかし、閉塞した今日の日本の現況を思えば彼らだけを責めるわけにはいくまい。今日の日本の特筆すべき特徴は、「ゼロサム社会」であること。このような社会では、誰かが得をするためには誰かが損をしなければならず、みんなで一緒に前へ進むということが困難である。だからこそ、誰もが勝てる喧嘩をしたがるのであり、難攻不落の名城たるネットを拠り所にしたがる。そういう意味では、社会の停留する不穏な空気を取り除くためには、ゼロサムの打破こそが大切になる。
 それではどうすれば良いかといえば、全く別論であり、この国の経済のあり方全体に関わる大きな論点であるから他へ譲りたい。しかし、ネットでの活動が可能になるよう公職選挙法を改正しようとするのが革新側の与党だというのが皮肉。まぁネットの世界で大人気の麻生首相の下で自民党は下野したのだから、ネット右翼の現実世界における政治力は未知数だけれど。