小選挙区と比例区

 与謝野馨舛添要一が相次いで離党届を出した際、自民党は両者を除名処分とした。どこかの国の瀬戸際外交のごとく離党をちらつかせながら条件交渉を続けてきた舛添に党執行部の心証は著しく悪く、その除名は先に決まったものの与謝野には同情論がないこともなかった。しかし最終的に、両者ともが比例代表制での選出であることを決め手として除名に落ち着いた。
 衆議院議員の場合、小選挙区当選組を金、比例代表単独による当選組を銀、重複立候補しての比例代表当選組を銅というように人事で歴然とした区別をつける政党が多い。金星が選挙区民の民意を得ているのに対して、銅星においては選挙区民が不支持だったにも関わらず政党の枠で当選したのだから、民意を得ることによる政党に対する貢献度も低いという理屈である。この理論でいえば参議院の拘束名簿で断トツの得票をした舛添は、大いに党の得票に貢献しているのであり、一概に比例区選出として差別するのは無理があると思うのだが、私の疑念はそれだけにとどまらない。
 そもそも、選挙区の如何を問わず、選出された国会議員は全国民の代表である。国民の代表者としての地位は一人一人が全く平等なのであり、そこに差をつけるということは民意にかえって恣意を持ち込むことになる。だいたい重複立候補による復活は惜敗率の順によるのであるから、ドイツの小選挙区比例代表併用制を持ち出すまでもなく個人の得票によってたつものである。単独立候補であったり比例名簿の最下位であったりすれば、それは個人の得票とは言えないが、国民の支持を得た政党により支持されたということなのであり、間接的にはその当選者に民意があるのは明らかである。比例代表選出で離党する議員を詰るよりは、そのような政治家を比例区名簿に登載した政党が人をみる明のなさを反省し、そのツケとしての議席の減少を甘受すべきであろう。
 それにしても、正反対の思想により導かれる小選挙区制と比例代表制が衆参両院に並存し、しかも参議院にはその中間形態ともいうべき大選挙区制までが置かれているというサラダボールのような仕組みはどう評価すべきであろうか。私見としては、衆議院小選挙区制、参議院比例代表制に集約すべきであると思っている。内閣を選び国政の方向を定めるいわば決断の場である衆議院においては、民意をより鮮明に示すことが求められ、良識の府としていろいろな意見を闘わせる場である参議院においては、多様な民意を代表させることが必要だからだ。選出方法が大きく異なればねじれ国会になる可能性も高くなるが、それはそれで大いに結構。第一院に付和雷同する第二院など無用の長物でしかないのだから。