沈まぬ太陽

 ここでは、労働委員会に在籍していた頃から教材としていた作品であり、咋秋に待望の映画化が実現した山崎豊子の大作「沈まぬ太陽」のことを論じるのではない。恒例となった年末年始の旅行、今回はマグリブ(日の没する国)の西端モロッコからかつて日の沈まぬ帝国と謳われたスペインまでの旅程をとったからだ。9連休を全て旅行に投入したとはいえ、往路1日と時差の関係上で復路2日を費やすから実質的に6日しかない。?カサブランカに上陸してマラケッシュ、?ラバトを経由してフェズ、?メクネスを経由してタンジェ、?フェリーでアルへシラスへそしてバスでセビリヤへ、?セビリヤから新幹線でマドリッドへ、?マドリッドから日帰りでトレドとセゴビアへ。ポルトガルへ行けなかったことやプラド美術館など休館日にぶつかったことは残念であるものの、まあ濃密な旅を実現できたようには思う。

 その旅程において美しく印象に残っているのが、初日、マラケッシュへ西走する車窓の夕日だ。大西洋沿岸の穀倉地帯は、いつしか荒涼としたサハラの大地に変わり、その果てしなく広がる岩場に悠然と太陽が沈むその刹那、その乾いた時間の感覚はとても長く感じられた。他方で、最後に見たのは、牛が草を食むセゴビア新駅の前で霙交じりの雨雲の中にボンヤリと消えていった夕日だったろうか。そのときも濡れて寒さに震える体で、アフリカの夕日を想起したものだった。
 地図上の距離以上に気候に大きな違いのあるマラケッシュとマドリッド。しかし、人間の歴史をみればさらに複雑である。スペインは他の西欧諸国と異なりイスラム支配下に入った時期があるが、コロンブスアメリカに到達した1492年にそのくびきを脱した。他方でモロッコはフランスの植民地とされ、その文化的な影響を大きく受けた。そのことを思えば、イスラム寺院キリスト教会への改築の技法などもおもしろいのであるが、モロッコの郷土料理であるタジンにフランスパンを浸す習慣や、マドリッド地下鉄の乗客のアラブの血が混じった顔立ちに、より興味がそそられる。そういうイスラム教世界とキリスト教世界の文化が混然となっている中にこそ、今回の旅の魅力があった。
 とはいえ、人間のつくる国境だけは、混然とということでは済まない。そのことを実感したのがタンジェ港でのトラブルだった。フェリーのチケット購入も両替も済ませていたにも関わらずモロッコの警察に出国を拒否されたのである。カサブランカから空路で入国した者は空路で出国しなければならないというのが彼らの主張なのだが、そんな規則はどこにもない。ろくに取り合ってももらえなかったが、日本大使館を通じて上部機関に電話したところ警官の態度が豹変してフェリーに乗船することができた。もちろん、彼らがアラビア語の他にフランス語やスペイン語しかできず、私の英語が通じなかったということはあるだろう。しかし、このトラブルのそもそもの原因はヨーロッパとアフリカの絶対的な経済格差にある。タンジェからは富を求めて(中には麻薬などの禁制品を持って)密航する者が後を絶たない。だから見慣れない国のパスポートを見た警官は役人の事なかれ主義で私の出国ビザに判を押さなかったのである。そういう意味では、警官の不実を責めるよりも、狭い海峡を隔てる大きな距離を感じさせられた出来事ではあった。

 それにしても、13度目の海外旅行にしてようやくのイスラム圏である。覗き見た淵は、とてもとても深く感じられた。

中国ドラマ

 私は3年前の秋頃から、字幕も音声も英語にして映画を見るようになった。そして2年ほどの間に、映画から連続ドラマへ、英語から中国語へ、GEOやTSUTAYAから孔子学院の無料貸出へと重点を変えながらも、語学の学習ツールとしてのテレビの役割はますます大きくなるばかりである。いつしか中国語も英語並みには話せるようになったが、それと同時に数多くの中国ドラマを楽しむことができた。
 中国ドラマといえば、一に台湾ドラマで二に武侠モノが想起される。しかし、ヒットした台湾ドラマの多くが日本の少女漫画を原作としていることもあり、言葉以外は輸入品であるという実感を拭えない。また武侠小説の世界には金庸という大作家がいたからこそ、数多くのドラマを送り出すことができたのであり、それが尽きた後の展望は未だ見えない。そして台湾ドラマと武侠モノを除くと、日本人に馴染みのある作品は激減するが、そこにある作品もなかなか面白い。
 悠久の歴史を誇る中国ゆえに時代劇にはかなりのシェアがあると思われるが、私が第一に奨めるのは「貞観之治(太宗李世民)」である。李世民という一代の偉人が、隋末の戦乱から唐の繁栄を築きあげるまでを描いているが、兄弟の殺害や息子の放逐など彼の影の部分も大きな役割を占めている。むしろヒーローに自然に備わっている明るさが全くなく、陰気さのみがこのドラマの底流にある。しかし、その陰気さで作り上げたのが、中国の歴史上でも空前絶後というべき頂点の時代。その不調和こそが、このドラマの魅力である。貞観之治とは対照的に分かりやすいドラマならば「大漢風」だろうか。漢による天下統一というゴールが見えているだけでなく、韓信の背水の陣など馴染みのある故事が随所にあるので安心して観ることができる。なお、他に「越王句践」や「大清風雲」も観たが、越王が呉王夫差の奴隷となってからや、ドルゴンの入関後の皇太后との関係が冗長すぎて作為的に感じられた。
 明治維新以後の歴史をドラマ化せず、坂の上の雲ですらようやく日の目を見た日本とは違い、中国には、共和制の開始から国共内戦そして文革を素材としたドラマが数多く存在する。その中でも大きな山場になっているのが日本との戦争だろう。この場合、まず確実に日本が敵役になっており、「刀鉾」のような敵意剥き出しの作品には閉口させられるが、「北平往事」は素直に好感を持てる作品である。北平郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した1937年、三人の女学生のそれぞれの運命を辿るという作品だが、ヒロインの韓雪が上品なお嬢様を演じきっている。文化大革命前後で一つ挙げるならば「血色浪漫」。現代中国とは隔絶した感のあるこの時代を理解するまで、かなりの回数を要したが、時代の有するやるせなさや空虚さがひしひしと伝わってくるところは続編ともいうべき「与青春有関的日子」とは大きく異なる。孫儷の軍装は「甜蜜蜜」にはない緊迫感を与えてくれる。
 それでは改革開放により、それまでの時代と全く分断されてしまった中国の現代ドラマにはどのような特徴があるのか。比較的に大きなウエイトを占めるのが、血のつながっていない家族の話である。家族に関係する中国語の語彙の多様さや中国残留孤児の問題を思うだけでも、日本との感覚の違いに気づかされ、また人間として共有する感情に気づかされるのだが、このテーマは別稿に譲りたい。次に多い印象を受けたのは麻薬犯との闘いである。サスペンスは、どこの国にも存在するジャンルだけれども、殺人よりも麻薬を取り上げる志向の背景には、やはりアヘン戦争の苦い経験があるのかもしれない。これらのサスペンスで一押しは「無国界行動」である。雲南でのヘロイン発見をきっかけに中国・アメリカ・タイ・ミャンマーの多国籍グループと警察との駆け引きが始まるのだが、中国警察とアメリカの警察の微妙な関係が、構図を複雑なものにしている。

 札幌大学孔子学院のテレビドラマDVDは視聴済みのものがだいぶ多くなってきた。中国の文化政策の一環として、北京の本部から送られてくるということであるが、再入荷が楽しみである。

家畜と果樹と

 一昨日11月19日は、農業協同組合法が公布されたことにちなんで農業協同組合の日とされている。私は、役所で農業協同組合農業共済組合に係る事務を担当していることから、なにがしかのイベントに参与できるのかと期待したのだが、肩透かしに終わった。しかし、家畜共済と果樹共済を分担している者として記憶すべき楽しい日にはなった。
 まず、最終日を迎えた北海道競馬。私は農政部へ来るまで、25%を控除されるため期待値0.75の競馬には全く関心がなかった。まあ、期待値0.5の宝くじよりはマシという認識はあったが。夏頃、試しに数枚を買ってみたが当たりはなし。それが15頭立ての最終第12レースで本命コパノカチドキの単勝280円を当ててみて、わりとおもしろいかもしれないと思った。場外馬券売場の大画面でみる限り、賭けることよりもスポーツ鑑賞としての側面が大きい。その馬の、その騎手の背景を知ることで、勝負の一瞬に愛着ができる。馬券は、その愛着を形にするためのスパイスに過ぎないから、道営競馬には申し訳ないが重賞レースに百円賭けるだけで充分。あとはスポーツとしての関心さえあればよい。
 そして、解禁日を迎えたボジョレヌーボ。高級ワインのように熟成させることができないこのブランドは、やはり有り難がって飲むような代物ではない。しかし、初物好きの国民性や、鋭くない日本人のワインの味覚なども相まって、ボジョレは欧米以上に浸透している。私も、やはり舌には自信がなく、おまけに酔いやすい体質ときているが、雪のちらつく街角のセイコーマートで一瓶を求め、レース後の時間を楽しむことができた。
 実は、この日は札幌大学孔子学院の中国語の授業の日。勉強もせず残業もせず、賭け事と一人酒というのは、自虐的な日記となる。しかし、業務に関連するところに楽しみを見出すというのは、もっとも能率よく仕事をする秘訣だと私は思う。よく、一番の趣味は仕事にしたくないと言う人がいるが、逆は不可なり。仕事を趣味にすることそのものは問題なかろう。まあ、賭けて呑んでというのが、どうして農政に活かせるのかという本質的な問題は置いておくとして。
 家畜と果樹の話からは逸れるのだが、農政部へ異動してきてから、ベランダのプランターで作物の栽培を始めた。タアサイ、インゲンそしてジャガイモ。期せずしてアブラナ科マメ科とナス科を選択し、入門の一年目としては充分に楽しませてもらった。もっとも、経験としてではなく、食物としての収穫は、長雨の影響やベランダの構造ゆえの日照不足もあり、思ったほどの収量にはならなかったが。それでも、自分が育てたものを自分で料理して食べるのは新鮮なことではあった。残念ながら、冷涼な北海道の気候では、半年以上も土を寝かせておくしか術はなく、次の栽培は雪解け後となる。来年は、ぜひ水稲をやってみたいと思っている。
 檜山支庁でも労働委員会でも、不満がなくはなかったが、そこならではの楽しみ方があった。あと30年ある社会人生活の中で、異動の度に趣味を増やしていけば、老後も時間をつぶせなくなることはなかろう。もっとも、海外旅行というカネのかかる趣味を持つ私にとっては、あまりカネのかからないというのが永く楽しむために必須の条件なのであるが。

漢とローマ

 奇しくも紀元前202年という年はユーラシア大陸の東西において歴史を決する戦いがあった年として記録されている。東は垓下において劉邦が楚を破り漢による中国統一が達せられ、西はザマにおいてスキピオカルタゴを破りローマによる地中海の覇権が確立した。垓下もザマも合戦としての完成度は鉅鹿やカンネーに劣るし、将軍としての存在感は敗者である項羽ハンニバルの方が際立っていた。しかし、その劇的な面白みの薄さにも関わらず、数百年にわたって世界に君臨した大帝国の草創として記憶されているのである。
 東洋史西洋史の融合が困難な故かあまり論じられることはないが、この双子の帝国は驚くほどに類似した特性を持っている。
 第一に、その名目上の存在の長さ。漢は3世紀初頭に滅亡したが、禅譲という特殊な制度により帝位は合法的に魏晋宋斉梁陳と受け継がれ、隋の文帝により滅ぼされる6世紀末までその流れ自体は続いている。ローマについても5世紀末の西ローマ帝国滅亡をもって終焉を迎えたとするのが一般的な理解だが、フランク王国を経て神聖ローマ帝国が受け継いだものを考えればナポレオンに達する。あまりにも帝国としてのインパクトが大きすぎたゆえに、その余韻ですら混乱する世界を鎮める一助となったのだろう。
 第二に、民族を拡散させるために果たした役割の大きさ。王朝名からとられた「漢」民族はいまや十億を軽く超える世界最大の民族である。またローマ帝国以前はギリシア人やフェニキア人に押された半島の少数民族に過ぎなかったラテン民族は16世紀には世界を制覇し、今でも南米大陸全体を手中にしている。そして、その巨大民族にとってのオリジナリティーが漢でありローマなのである。
 第三に、体制を根本から変革した英雄の個性。漢末に群雄割拠する中でいち早く帝を擁して丞相となり、魏公から魏王そして禅譲一歩手前で死去した曹操ガリアやエジプトへの遠征で版図の骨格を形成して終身独裁官となるものの元老院で暗殺されたカエサル。彼らは袁紹ポンペイウスのようなライバルが持ち合わせていなかった明確な国家ビジョンを有しており、それは曹丕アウグストゥスという後継者に引き継がれた。両雄は、政治家として将軍としてだけではなく当代随一の文章家としても歴史に名を残しているが、私には東西世界において天が天才の出現を求めていたゆえの彼らの登場だと思われる。平時であれば彼らはいずれも、不良とプレイボーイの域を出なかったようにも思える。
 第四に、国家システムの雑居性。漢は郡県と王国を併用しながら、ローマは属州と同盟国を併用しながら、時間をかけて中央集権体制を築いていった。このようなシステムの併用は、異なる文化を取り込む際にもクッションの役割を果たし、外への帝国の拡張を支えていたのである。
 このような双子の帝国がこの時期に誕生したのは偶然でもあろうし、気候変動など必然的な要素もるかもしれない。それはともかく、私自身はシリアに達しながらローマ行を断念した甘英やローマ王に擬せられた安敦の周囲にある。漢とローマの人々はお互いをどのように認識していたのかが気になるからだ。見たことはなくても、商人たちの伝言ゲームによって噂に上っていたことは間違いないし、現代において宇宙空間に文明の存在する星を確認したならば抱くであろうものと似たロマン的な感情だったのかもしれない。そんな漠々としたことを想いながらシルクロードならぬミルキーウェーを眺めてみるのも、秋の夜長の過ごし方としては一興である。

世界一周

 旅好きの人間にとって極めつけの旅はやはり世界一周ではないだろうか。もっとも、青年期には充分なカネがなく、壮年期には充分な時間がなく、老年期には充分な体力がないから単なる憧れに終わってしまう人が多い。人生に一度だけでもいいからやってみたいと思える旅である。
 世界一周というとスターアライアンススカイチームワンワールドの三大航空連合などが格安航空券を設定しているが、これは私の夢見る世界一周ではない。航空機内は外界とは隔絶した世界であり、航空機の出発地と到着地の間はワープにも似た感覚ゆえに線で結ぶことができない。果てしない大地や大海原を突き進んだ果てにもといた地点に戻ってくることでこそ地球が丸いことの実感が得られるのだから、何時の日か世界一周の機会があれば、一区間も航空機を利用したくないと思っている。
 空路の旅が嫌ならば陸路と海路があるのだが、大陸は海洋によって分断されているから陸路のみによる世界一周はできない。豪華客船による世界一周クルーズは幾つかの旅行会社が設定しているが、当然、海に人は住んでいないから、寄港地を点で結ぶ旅になりかねない。そこで目下のところ太平洋と大西洋の横断については世界一周クルーズの区間クルーズを利用するしか手がないのだけれど、年に数便で高価なクルーズだけでは、旅程の選択の幅は極めて限定される。旅客が低迷しているにも関わらず、長距離貨物は今でも海上運送が主役だ。商船三井日本郵船川崎汽船などのコンテナ船に乗り込んで大洋を横断する策を考えてはいるものの、なかなか上手くはいかない。
 そして陸路。世界最長の鉄道路線といえばモスクワからウラジオストクまでのシベリア鉄道だが、富山から船で大陸に渡りシベリア鉄道でモスクワに入りそこからトーマスクック時刻表の赤版だけ使ってヨーロッパ旅行というのでは芸がない。確かにシベリア鉄道にはロシアでホームステーをしているような一種独特の魅力的な雰囲気はあるものの、古来より数多の民族が生きてきたユーラシア大陸を駆け抜ける際の文化的な要素がロシアだけではあまりに寂しいと思うからだ。
 私も昔は時刻表を見ながらどこまでも続く鉄道の旅をしてみたいと思っていたが、ホーチミン市からバスでカンボジアを横断してバンコクに入った旅(2007年)のあたりから考えが変わった。現地の人と触れ合いながら目線を低くしてそれぞれの土地を楽しむという点で電車はバスにはるかに及ばないからだ。たしかにバスの旅には体力的な負担が伴う。しかし、寝台車などの鉄道で距離を伸ばしつつ、ある時は路線バスで観光コースから外れてみるということも、旅の印象をガラリと変える強いスパイスになりうる。そういった意味で例えば今、私が興味を持っているのはカシュガル。中国領シルクロードの最西端にあるこの街までは鉄道で行くとして、そこから先、キルギス行きの国際バスに乗るのか、パキスタン行きの国際バスに乗るのか、はたまた南疆へ向かうのか。たったそれだけの現地での思いつきの選択によって旅のカラーは大きく変わっていく。
 陸路と海路で世界一周をしてみようと考えるのは素晴らしいことだが、それは単なる枠組みに過ぎない。実際に日本を飛び出してみたとき、想像もしなかったような多様な可能性が目の前に広がる。それをオンタイムで選択しながら絵を描いていくのが世界一周だと思う。

石田三成と直江兼続

 NHK大河ドラマが好調である。篤姫に続いて天地人も高視聴率だという。しかし、若手を起用してホームドラマ風に仕立てるという最近の傾向には違和感も感じないではない。たしかに一時的な視聴率には資することになろうが、それではあえて大河である必要性もないからだ。それに私は、玄人好みと言われる直江兼続を大して評価していない。
 兼続は、まず戦下手である。兼続の人生における分岐点は、御館の乱、魚津城攻防、長谷堂城攻防の三つだろうからそれぞれみていきたい。御館の乱の際は、ドラマの創作はともかくとして年少の兼続が積極的な役割を演じたということはないだろう。時局を見誤った北条氏政武田勝頼の失策により身近な人物が国主になり自らも家老に取り立てられたというしかない。魚津城攻防においても、上杉景勝になすすべはなかったのであり、本能寺の変という僥倖に救われたに過ぎない。命を救われた幸運に満足し、徳川家康が武田の旧領に進駐したように時局を積極的に生かさなかったからこそ、以後は風下に置かれることになったのである。そしてもっとも拙いのが長谷堂城攻め。関ヶ原の前夜、家康が小山から反転西上したため宇都宮に結城秀康と蒲生秀行が置かれるのみであり、上杉がこれを打つのは容易なことであった。しかも天下に野心をもつ伊達政宗が家康に与するとはいえ両にらみだったのである。南進が上策とすれば西進は中策。ごく最近まで領有していた越後を取ることもできたはずである。しかし直江兼続は米沢から北上して山形へ向かった。これが戦略的に下策だっただけでなく、長谷堂の小城ひとつ落せずに上方での敗報に接したのである。戦後、上杉を釘付けにして主戦場への影響を皆無にした結城・蒲生・最上の諸将には関ヶ原に参陣した諸将よりもはるかに大きな加増がなされたが、これはある意味当然であり、その大兵力を無為にした兼続の采配は致命的であった。兼続の評価は、むしろ治世の能臣としてであろう。同時代には東国の兼続と西国の小早川隆景が並び称される存在であった。しかし、それは封建制という新しい秩序の中で世が統治モデルを求めたためであって、必ずしも彼の実績が際立っていたわけではない。経済政策を挙げるならば群を抜いていたのは先代の上杉謙信だろう。毎年出兵を繰り返しながら、彼の死後は莫大な黄金が残されていたというのであり、兼続は謙信の経済政策を踏襲したに過ぎない。もっとも謙信もまた戦略眼がなく三方に出兵して連戦連勝にも関わらず得るものが少なかったのであるが。
 こういうわけで今回の大河ドラマはあまり満足していないのだが、兼続との友情を通して石田三成を描いているのはよいと思う。徳川光圀の頃までは割りと好意的に評価されていた三成だが、数百年の歴史の中で神君に逆らった者という役割が固定化してしまった。天皇制擁護という立場でもないから明治維新後も復権できず今日に至っているのである。
 奸臣説をとらず又その行政手腕を評価したとしても、人望がなく戦下手というのが大方のイメージだろうか。しかし人望もなく戦下手でわずか20万石の三成が250万石の家康と互角以上の戦いをできるわけはない。三成の失策としては忍城水攻めの失敗が有名であり、関ヶ原の際の大垣城放棄にも辛い点が付けられることが多いが、忍は川越夜戦の後の北条氏康にも関東管領就任後の上杉謙信にも落とせなかった名城である。水攻めが豊臣秀吉の意向であったかどうかは置いておくとしても、これを落とせなかったことをもって資質を論ぜられる必要はなかろう。大垣放棄にしても、結果的に押し切られた印象を与えてしまったが、松尾山城の存在を考えれば関ヶ原での決戦は家康を罠に嵌めたものといえる巧妙なものである。惜しむらくは、松尾山城に小早川秀秋を入城させてしまったうっかりミス。大谷吉継に四隊を預けて封じ込めを図ったものの、この四隊がいずれも連鎖造反して大敗を喫してしまった。
 石田三成直江兼続知名度は明らかに前者の方が高いだろうが、それゆえに後者に玄人の評価が集まる余地が残り、それを「愛」でコーディネートしたのが今回の大河だともいえる。もうすぐ始まる関ヶ原では、長谷堂での殿軍よりも東西挟撃の構想の方に光を当ててほしいものだ。

第141回 芥川賞選評

 私にとって芥川賞の候補作発表から受賞作発表までの十日余りは、現代小説を読む半年に一度の貴重な機会である。しかし同じように考えているのは「メッタ斬り!版 芥川賞直木賞選考会」の豊崎由美大森望だけなのだろうか。今回は、彼らより早く選評を出すことができたので少々気分がいい。

 今回の候補は六作品。どの作品にも共通しているのは疲れである。社会経済の環境が急速に悪化していく中で、自分の生き方を厭世観をもってみつめるとき、その倦怠した有り様は一見すると芸術的にみえる。しかし、そのまどろみは時代に流される受け身のものゆえ、夢想は既に破綻をきたしている。これを補えるようなエネルギーはどの作品からも感じられず、それゆえに夢の破綻の小さい作品を消極的に選ばなければならないのが今回の選考会ではなかろうか。
 最も注目度が高いのがシリン・ネザマフィ「白い紙」(文學界6月号)だろう。中国人の受賞に続き、イラン人が文学界新人賞で一発受賞となればマスコミも大いに盛り上がることができる。イラクとの戦争中のイランで成績優秀な生徒への淡い恋心と、その生徒が医学部受験をやめて出征するまでを描いた作品。イスラム圏での恋愛感情と戦時下の人々という強烈な題材を取り上げたものでありながら論調でないのには好感が持てるが、それをどのように受け止めればよいのか戸惑ってしまう。気持ちを伝える日本語は、英語や中国語よりはるかに難解である。彼女が今後、日本での生活を積み重ねていく中で、どのように気持ちを伝えればいいのか模索していくことを期待したい。
 戌井昭人「まずいスープ」(新潮3月号)と藤野可織(ふじのかおり)「いけにえ」(すばる3月号)は夢のモチーフの失敗作。「まずいスープ」は、父親がまずいスープを作ってすぐ失踪し、その後の混乱の中で家族の形が見えてくるという話。家族や友人がなかなか魅力的に描かれており引き込まれて読んでいたが、犯罪に巻き込まれたゆえの失踪で、味付けに失敗したのもそれで動揺していたからだというオチは救いようがない。「いけにえ」は、子育ても終わった女性が美術館でボランティアをしていて悪魔を捕まえるという話。悪魔がバラだったでは答えになっていない。どちらにしても、スープや悪魔で読者を引き付けたなら最後まで面倒をみてほしい。夢ではないのだから。
 磯崎憲一郎「終の住処」(新潮6月号)と本谷有希子「あの子の考えることは変」(群像6月号)の夢のモチーフも興醒めの感がないでもないが、破綻していないのは作者の力量だろう。「終の住処」は遅い結婚から定年間際までを倦怠感をもって描いているのだが、十年以上も妻と一言も口をきかなかったという設定に無理があった。作者としては、倦怠感の象徴としたかったのだろうが、異常な設定のおかげで作品の持っている普遍性を減退させたのは残念である。「あの子の考えることは変」のセフレと処女が同棲しているという設定も不自然。そんなに奇を衒わなくても、二人の個性は十分に鮮明に描かれており読者を満足させることはできたと思うのだが。
 松波太郎よもぎ学園高等学校蹴球部」(文學界5月号)の夢のモチーフは野球。高校3年生最後の試合と、女性監督が亡くなったことで同窓生が集まることの二つに標準を当てた思い切りの良さには感心するし、この二つの事柄がうまく絡み合っているのだが、野球の描写がラジオの野球中継と変わらない。作者はそれを狙っていたのかもしれないが、焦点の当て方が鮮明な作品ゆえに違和感を覚えてしまう。
 そういうことで今回は、なかなかキラりと光る作品を見つけることはできなかったが、順をつけるなら本命は処女の本谷で対抗は野球の松波といったところか。選考委員会は、きたる7月15日(水)より新喜楽で開催される。